ys10's diary

読み読み書き書き。

仕事ばかりで普段考える暇のないことをつらつらと

 

 今やる努力は後の自分にとてつもない期待感を与える。一方で、今娯楽に走るのは先の不安を少しずつ強めていっているようなものなのかなとふと思った。

 

今幸い自分は会社で働く中でモチベーションを高められていて、働く前では考えられないほど努力はしていると思う。まあ休み休みだけど、やっぱりなんらか息抜きは必要で、ただやりすぎは抑えるべきである。バランスが大事。

 

 たぶん自分には課題がまだまだあって、それらに対する漠然とした不安があるのだけど、一個ずつクリアしていけば良い、焦らず積み重ねていけばよい。

 

 技術的なところはそんなモチベーションでいけそうだけど、人間関係のところは本当に難しい。最近pairsという出会い系アプリを始めたが、自分に合う人を探すのって滅茶苦茶難しくないかと感じる。まず人と会ったりするのが怖いだったり煩わしいと感じている以上、ハードルはぐっと上がる。どこかのコミュニティに飛び込んでいける勇気が持てないのは、飛び込んで自分から自発的に人と会話する上で、恥をかいたり空回りするんじゃないかという恐怖があるから。それを怖がっているようでは、先にも書いたように、出会いを探すのは難しい。

 

 どこかで吹っ切れたいと思う一方で、まだ自分をセーブしてしまっていて、それで安心してしまっている自分がつらい。自分が思っている以上に他人は自分のことを何とも思っていない、と自分を説得するのが難しい。

 

 全てはネガティブ思考のせいだと思う。治していきたい。そして、友達を増やしたり彼女を作ったりできるなら、それ以上幸せなことはないだろうな。

自分のペースで頑張りたいが、社会がそうさせてくれない

 もう少し肩の力を抜いてやりたいが、会社からお給料を貰って働いている以上、生ぬるいことは言っていられないのがすごくストレスである。まあ、働くっていことはそういう要素も含んでいて、自分はそれについて知らなかっただけという話なのだけど、誰から言われたわけでもなく、「変わらないと居場所がなくなるぞ」という脅迫じみた切迫感を感じてしまう。

 

 とはいえ、自分のペースで徐々に変わるから...とのんびりやってると、成長スピードが遅くなるのは言うまでもない。変化というのはなんらか苦痛が伴うものである...という考えがもうしんどいが、そういうことなんだろう。焦って、苦労して、悩みながらも苦難を乗り換えてきたからこそ、今うまく仕事をこなせている人たちは強いのである。

 

 先週の金曜、上司から、このままではダメだよと諭された。自分でわかってはいたけど、直に言われると、焦りと不安が出てくる。この焦りと不安という感情が本当に嫌いで、それが作業効率とか作業密度的にもよくないし、精神的にもしんどくなってくる。

 こんなこと言っている時点で甘いんだろうけど...自分にとって都合のよくないことを言われるかどうかが重要なのではなくて、そのままで本当に自分が良いのかどうかというところなんだろう。

 

 当事者意識が欠けてるという話を以前ここでも書いたと思うけれど、まだまだ僕には足りていない。それは、考えが足らないとかではなく、そういう習慣や行動意識が身に染みていないだけだと、最近思うようにしている。(自分を卑下することは何にもつながらない。)当事者意識を持つことを余儀なくされる局面をどれだけ迎えたか、そういう場面に立ち会った経験値が、当事者意識のあるなしに関係してくるんだと思う。

 

 結局経験と、場数なのだろう。僕はこれまで、そういうスキルを磨く場を悉く避けてきたので、今普通に経験してきた人達より遅れをとっている状態なのだと思う。

 

 とにかく、失望されようが何だろうが、やりきってみることを目標に頑張ってみようか。今できていないところをリストアップし、優先順位をつける。優先度の高いものから、それができるようになるまで、なんらか工夫を凝らしてみる。できるようになれば、一つ成長したとして、なにか自分にご褒美をあげるのも良いだろう。人間、プラスに考えなければ、何も乗り越えられないし、なにも始まらない。もう少し頑張ってみて、その時その時最善策を練っていこう。

Sky

もっと生真面目に

 仕事の話である。日々をもう少しタイトに生きるべきだと思う。肩の力を抜けというが、手を抜けというわけではない。正直その違いが判らない。手を抜かなかったら肩に力が入るにきまってるじゃないと感じるが、違うだろうか。僕は何の制約もなければ全くこだわりが弱いタイプの人間なので、普段からそこそこのこだわりを持って生きている人たち特有のアドバイスを受け入れるべきでない。自分の特性に見合ったライフハックをしていかなければならない。

 

 今日は年齢的にも職歴的にも数年上の先輩から、仕事を教わりながらアドバイスをもらえる機会があった。やはりいくら頑張っているつもりでも、社会人としては抜けている部分が多いと感じる。文章の書き方、報告の仕方、仕事に対する心構え一つ一つの水準が高い。僕は今事務所で上司に見守られながら仕事をしているが、客先に出るということはやはりわけが違うと感じる。一人の技術者として、少しの甘えも許されない、できないでは済まされないというところに、胃がキリキリするほどの厳しさを感じる。正直怖い。けれど、それを乗り越えないと、自分の生活は保障されない。

 

 脅迫的に考えすぎているだろうか。こんな風に思い詰めてしまうから、うまくいかないのではと思うところもあるが、僕にとっては思い詰めないことほど、無防備で苦しいことはない。思い詰めることで、自分を守っている節があるかもしれない。思い詰めたところで何も変わらないが、思い詰めることで、ダメな自分を許し、少しでも心に安心感を持たせているのかもしれない。最近はそういった自己反省を無意味だと思えてきているし、落ち込むときも、立ち直りに以前ほどの時間をかけていない。

 

 どうしてもブログに書く文章が自己反省ばかりで暗い雰囲気になってしまいがちで、そんな自分だからこそうだつが上がらないんだろうなとか考えてしまう。けれど、現実的にしばらくこの癖は治りそうにない。彼女でもできたら変わるんだろうか。

コミュニケーションで首が回らなくなってること

 コミュニケーション偏重主義の現代は僕みたいなコミュニケーションに難がある人には非常に辛いものがある。そんなことこれから改善していけば良いじゃんという話ではあるが、それは酷な話で、簡単に変わるものではない。というのも、そもそもの原因が対人不安や緊張感からくるものだから。そして、その期間が長ければ長いほど、癖になってしまった話し方や態度は変えられない。

 

 今僕は自分の現状に不満を持っていて、それをどうにかしようと動き出しているところである。ひとり暮らしを始め、身の回りのことを自分なりの考えをもとにこなし、仕事をうまく進めるための努力なんかも今している。だけど、ことコミュニケーション能力的な改善について具体的なアクションどころか、方策すら練れていないのが現状である。

 

 ここが一番の悩みであり、非常に解決が難しいところである。アクションを起こそうとするほど、モチベーションがゴリゴリ削られている。半ば不貞腐れて諦観に近い感情を覚えることもある。まだプライドが邪魔してるからか、そっち方面のことで失敗したくない、失敗すると立ち直るのに時間を有するからだろうか、動き出そうとする気持ちが弱ってきている。実際に人と接すれば接するほど、自分の存在が弱くなっていく感覚がある。

 

 これに関しては、僕の不得意分野ということもあり、時間が解決してくれるとは思えない。なのでアクションを起こさないと行けないことは頭で分かりつつも、何も行動せず悶々としてる。意味のないことは分かっているけれど、捨てきれないプライドがあって、その不安から立ち往生してしまっているんだと思う。

 

 どうしたらいいだろう、そもそも自分は人が好きじゃないんだろうか、コミュニケーションにある種の煩わしさを感じてしまっていないだろうか、少し自分がわからなくなる時がある…。

今自分がやるべきこと

 ゴールデンウィークも明日で最終日。昨日実家に帰ったくらいしかゴールデンウィーク中の思い出がありませんが、なんとか元気です。

 

 5日間の休暇にそんな期待をかけてなかったからか、終わりが近づいてきてもさしてさみしさを感じない。時間はあっという間に過ぎていくので、今を大事に過ごすことは当然必要なのだけど、前提といて今後の自分の動向を定めた上での毎日だと考えている。昨日は久々にやる気がでて、帰宅してから寝もせずにstruts2でのWebアプリ作成にいそしんでた。

 

 自分が今やるべきは、身の回りのこと、仕事に役立つ知識を蓄えることだと考えている。諸々のことを考えた上で、今自分に必要なことは遊ぶことではなく、自分とひたすら向き合う時間、自分を磨き、大切にすることだと考えている。それがずっと続くわけではないけれど、ある時転機が訪れると信じて、今は妄信的に努力するつもり。

 

 今はとにかく技術的な勉強に勤しむ。そしてそれに夢中になることが、今の自分を支える手段だと考えている。自分に夢中になれるように、自分の考えをしっかり持って、行動して、結果を出して、自信につなげていこう。そうして安定した自尊心を保てるようになると、今閉ざしてしまっている様々な可能性が開けてくるはずである。

 

 安定した自尊心について少し考えてみる。日々鬱憤や不満がすぐに湧いてくる自分に足らないものは自尊心が欠乏してるからだと思う。で、自尊心というものは一種の性格や性質的な側面があると思うので、何かをこなしたり達成したりしたらある時から付与されるとかそんなものではない。自尊心は時間をかけて少しずつ養っていくものだということは何となくわかる。なので、自尊心が養われるような、自分のことを少しでもほめたくなるような生活習慣や、イベントに参加するべきである。

 

 その上で、簡単な指標として、「その日にどういう行動をすれば自分の中で合格点を上げられるか」を考えるのもありだなと考えている。自分をほめてあげたくなるような課題を一つ以上課して、それをクリアできればその日は合格といった感じで。ちょっとしたことだがなんとなく漫然と日々を過ごすよりかはかなり建設的だと思う。そして、クリアできてもできなくても、自分の行動を日記形式で書くというのはよいかもしれない。クリアできなくとも、自分をマイナスに書くのではなく、あくまで前向きな雰囲気で書くこと。それって非常に大事だと思う。

 

 どうしても気分が沈んで何もやる気になれないときもあるけれど、その時は無理する必要はないと思う。自分が勢いのある時に、書けなかった分も書けばよいわけだし。ポジティブに頑張っていきましょう。

 

自分合格力 人生が軽やかになる60点主義のすすめ

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今後の方針について

 2017年4月30日、世間はゴールデンウィークで、僕自身もゴールデンウィークを目前に迎え、今後仕事が新たな展開を迎えていくということもあり、具体的な目標というか指標というか方針を少し考えてみた。寝起きってタイピングも冴えわたるな。とりあえず列挙していこう。

 

 プログラミングの勉強...業務用にC#の勉強、資格用にJavaの勉強、その他業務効率を上げるためにツールについての知識(eclipse, Excel)をつけること。Javaに関してはoracleのJavaSilverの資格取得をひとまず目標とし、それ以外は日々の勉強の中で何らかの指標を立てられたらと思う。

 

 日記...日々の記録や考えたこと、感じたことを何かしらに書く癖をつけられたらと思う。これまで自分が考えていたことなんて基本的に忘れていってて、その都度気分やモチベーションによって考え方は変わっていったりするけれど、なんだか思考が同じところをぐるぐる回っている気がするのである。その時、自分が「新しい気付きを得た」と感じたことも、実は以前の自分がひそかに感じ取っていたりしたことも、もう忘れたが何度かあるかもしれない。なので、自分の思考のログをとっていくという行為は、今後自分の感じ方、考え方を成長させるにあたって必要なことかもしれないと感じている次第である。今こうして思いついたことに関しても、最悪明日になったら忘れているかもしれないから、こうして何かしら「日々の自分の記録をとっていく」という行為は必要と感じている。

 

 筋トレ、柔軟運動...精神と肉体はつながっているというが、本当にその通りだと思う。鍛えればよいというわけでもないけれど、そのほうが精神衛生上も健康的にも自身のあらゆるコンディション的に充実感をもたらしてくれると思う。そして、こういったことを癖づけるのは今が一番やりやすい時期だと思っているし、もし癖づけられたら、今後の健康管理に役に立つ上に、自信にもつながっていくだろう、あらゆる面でメリットがあるので、続けていきたい所存である。ちなみに今日久しぶりに筋トレしてみたけれど、少しやっただけで結構バテたし、既に筋肉痛である。

 

 とまあ、こんな感じである。これらを毎日続けるのは仕事もあるので精神的にも体力的にもきついかもしれないが、毎日といわず、三日に一回とか、週一回とか、そこらへんは今後の自分のモチベーションとか気力とかと相談していきながらやっていきたい所存である。これまで意識が低かったからできないとかではなく、意識高く考えられるときは思いっきり意識高く考えて、自分にどんどん勢いをつけていきたいところである。

 

 

日記の魔力―この習慣が人生を劇的に変える

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4/17

 昨日のことを少し振り返ろうと思う。昨日はIT技術者を志す学生、はたまた社会人たちの一種の登竜門である基本情報技術者試験を受けに行ってきた。試験一週間前くらいから驚くほどモチベーションが低下して最後の追い上げができず、半分以上あきらめかけてて当日も試験開始時刻を確認しておらず危うく遅刻しかけた(というか遅刻した)けれど、試験後解答速報を見ながら答え合わせしてみると案外通ってそうだった。あきらめないって大事。

 

 正式な合否は一月後くらいに返ってくるので手放しでは喜べないけれど、まあ期待以上の手ごたえでよかったなあと思っている。その一方で、試験中に感じた劣等感に、都合の良い時だけ持ち出される負の感情が少し心残りで、それが今後の自分の不安要素の一つである気がした。

 

 やはり試験会場には半分以上の時間を残して問題を解き終えて退室する猛者がいて、その人と自分を、無駄なことはわかっているつもりでも心の奥で比べてしまっている。それだけならいいのだけど、かなり動揺して問題文が頭に入ってこなくなったりするのはどうかと思ってしまう。そこで悔しさ感じるなら間際もう少し勉強してろよ、と言い聞かせたくなるが、そういう考えても仕方ないところで動揺したりプレッシャーを感じてしまったりするのは間違いなく損でしかない。

 

 まあいくら強がっても自分の感じ方や考えを捻じ曲げるのは難しくて、頭でこうしたほうが良いと思っていても反射的に起こる感情の部分はとりつくろえないので、むしろその感情を肯定していきたいところだけれど、なんというかそれはどうしようもないだろとつっこみたくなるところで負の感情が起こったりするのはやっぱり許容しがたいというか自分を許せなくなるところである。そういう感情にならないように日ごろから常に努力を惜しむなよと厳しい突っ込みを自分に入れるけれど、その勢いはその時だけでやっぱり無理したくない性分なので習慣を変えることは難しい。

 

 誰かが言っていたと思うけど、大人になるというのはどれだけのものをあきらめられるようになるかということらしい。自分がこうしたいという欲求を、満たすことで自分を納得させるのではなく、あきらめることで自分を納得してきているところはあるかもしれない。けれどそんな人生はやっぱりスタンスとして後ろ向きなので、生きている以上は前向きでありたいし、最近はポジティブを心掛けているつもり。無性にネガティブになったりするけれど、どうにかなると信じてやっている最中。

 

 感情のままに書いたので支離滅裂だけど、これはこれで残しておく。

 

Sky