ys10's diary

読み読み書き書き。

家に帰ると仕事ができない人

 基本的に家は体を休める場所、というスタンスを貫きたい訳ではないのだが、どうしても家に持ち帰った課題や宿題、タスクに集中して取り組むことが出来ない。出先や帰り道の電車の中では聖人君子もかくやといえるほどの集中力とモチベーションで溢れているのに、帰宅して居間に上がりこんだ辺りから徐々に気力がしぼんでいく。人のエネルギーを吸い取る人形か何かしらが部屋の片隅に置かれてるのではないかしらと勘ぐってしまいそうになる。まあ流石にそんなホラーなアレではないけど、とはいえモチベーションの尋常でない落差は看過できない問題である。それは意志が弱いからや!と良く分からないオッサンに怒鳴られそうだが、そういう根性論とか精神論は聞き飽きた。できる奴ができない奴の気持ちを分かるか。そういう安直極まりない意見よりも、僕が求めているのはやる気を引き起こす抜本的施策である。

 
どうしても気力が沸かなくて、一日怠惰に過ごした、という経験をしたことがある人は少なくないと思う。社会で生きていく以上、多少なりともその日の体の調子や仕事の進捗、対人関係なんかで気分の起伏はあるもの。その中で、何かしら複数の要因が重なって気分が普段よりも上がったり、逆にガクッと急降下することだってある。その一番気分の低調な時が、いわゆる無気力になりがちな状態なのだろう。その日は普段の半分のパフォーマンスも発揮できなかったり、ともすれば布団から出られなくなることだってある。そしてこの低調の周期には個人差があって、メンタルコントロールを上手に操れる人は比較的周期が緩やか。逆に、それが下手で、不安定に揺れ動くメンタルに左右されてると低調期の周期も狭まり、沈んだ日がこまめに訪れることになる。
 
 前者は誰にでもある事で、特別ストレスを抱えていない人でさえそういう症状に悩んだりする。別に稀にあることなので、その日はリフレッシュするために有給とって家でくつろぐなり、大学の講義を休んで普段行かないところへ行ったりするのも良いかもしれない。勉学に励んだり、スポーツに汗を流したり、社会人として書類作成に追われたり、現場から現場へと奔走している日常を送っている人たちにとって、たまの小休止であるに過ぎない。
 
 逆に、後者はどうだろうか。慢性的な無気力、いや、それは無気力というより、自分の怠惰な性格が引き起こした顛末なのか、もはやそれが自分と開き直るしかないのか。それとも他人は普段から自分よりも強固な信念を持って活動している人ばかりなのか…人の心の中は覗けないし、飄々としているようで恐ろしく頑張っているのかもしれないし、結局自分が不甲斐ないだけで、そんな自責の念が襲いかかる中でまだ頑張れずにいる…という負の無限ループ。
 
 某巨大掲示板で一時期流行った「真面目系クズ」という言葉が自分を的確に言い表している。外面は真面目だが、本人はなるべく辛いことや困難を避けたがる性分で、課された課題なんかも最低限やって体裁を見繕うだけで、本質的には全く成長しない。本当に真面目だったり、自分に厳しくストイックに過ごしている人達からすると、軽蔑の的であることに疑う余地はない。世間体ばかり気にして、上辺だけの人格者ほど卑怯でせせこましくて見るに耐えないものはない。
 
 とはいえ、そんな「真面目系クズ」な人達も、必ずしも楽に適当に人生をやり過ごしたいとは思っていない。外では真面目な自分と、誰にも見られてない場所では努力できない自分とのギャップに少なからず苦しんでいる。体裁を保つだけの中身の伴わない真面目さは簡単に見透かされるし、そもそも他人によく思われたいがためにしている行動が自分のその時々の意思決定に立脚していないという不自然さがある。そうして一貫性の欠けた自分への自己嫌悪に陥り、葛藤の挟間で自分がわからないままでいるのだから、深刻な悩みである。それなら最初から自分のしたいことを、したいように、誰にどう見られようと、批判されようと、怯まずに奔放に決めたことをやれれば、どんなに気楽だったか。今からでも遅くはないと言うが、形成されてしまった人格や性質はそう簡単には捻じ曲げられないし、それっぽく見せられるかもしれないが、どうしたって不自然になる。
 
 生まれてきて四半世紀経つのに満足に自分の事もこなせないなんて辛すぎる。自分が何で頑張れるかこの歳になっても分からない。