ys10's diary

読み読み書き書き。

映画「何者」感想

 朝井リョウの「何者」観てきました。一度小説を読んだことがあって、既に面白いのは分かってたので、名だたる俳優陣がどう演技するのかを楽しむつもりで行ってきた。以前小説を読んだ時もブログに感想を書いたけど、今回映画を観て新たに感じることもあったので記録代わりに。

 

 自分に何が出来て、どれ程価値があって、どれだけ充実してて、どれだけ特別か、自分に自尊心(プライド)というものが人並みにでもあり、幸せな人生を送りたいと考えている人(そういう事を考える余裕がある人)なら、そういった気持ちは必ずある。そしてその事をより強く意識させられる人生の一大イベントとして、「就職活動」がある。前進黒スーツに身を包み、大勢が同じように会社説明会に足を運ぶような状況では、外面や装飾で固めていた個性が取り払われ、「内面的な個性やスキル」で自分の自尊心を守るしかなくなるのである。これまで家庭や学生という肩書に守られ、見えないままにされていた自分の本質的な真価が問われる。そんな風潮が、特に日本の就職活動にはある。

 

 勿論自分に絶対的な自信があるような人(それを裏付けるスキルや経歴があり、誰から見てもエリートと呼ばれる人)なんかはそういう部分で困ることはないだろうけど、そういう人はほんの一部で、大部分の人間はまちまちである。(誤解を招きそうな表現だけど、20そこそこの人生経験でその人の良さや個性があふれてる人なんてそうそういないし、それはエリートと言っていい。)その人がこれからどんな事ができるようになってどうなっていくかなんてその時点では分からないのだから、特に自分に自身の持てない就活生からするとそう見えるだろう。自分はその他大勢だということをこれまでの経験から薄々感じつつ、それだけは絶対に認めたくない。そんな自分は認められないという気持ちがある。けれどそう簡単に現実はねじ曲げられない。そこで、「意識高い系」または「批評家気取り」といった考え方に走ってしまうのだろう。どちらも自分のプライドを守るための保身であるにすぎない。そうでないと彼らはやっていけないのだ。

 

 彼らを批判することは誰にも出来ない。誰しも人生を自分の希望通りに運べるわけではないから。自分の人生の価値基準が「自尊心」「認められたい気持ち」にあるなら、現実とのギャップに耐えられるはずがない。

 

 逆にそうでない人も沢山いる。自分のプライドよりも大事なものができたとき、人はそういった部分が満たされなくとも納得して暮らしていける。現実とのギャップに苦しむ自分を認めることだってできる。明確な目標があれば、自分が「何者」かなんて考える必要もなくなる。

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 最後の佐藤健が泣き崩れるシーンでも思ったけど、ヒトは本当に承認に飢える生き物なんだなあと感じた。「承認欲求」なんて使い古された表現に感じるくらいよく目にするけど、そりゃ使いますわ。このご時世ネットで承認欲を埋め合わせてる人なんて少なくないから。