ys10's diary

読み読み書き書き。

6/15

 久しく友人と話しました。二週間ぶりくらいだったのでついつい話し込んでしまった。四回生になり、必要な単位もある程度取り終え、時間割にゆとりができたこともあり、講義を通して親しい友人達と会う機会も殆どなくなってしまった。友人と話すことさえ珍しくなるなんて、時間と環境の移り変わりになにやら感慨深いものを感じてしまう。

 サークルや部活に一切属さず、学科の講義に出て、一日の講義を終えた後は、シフトが入ってる時はバイトに向かい、時にはいつもの決まった友人達とご飯に行ったり、カラオケ行ったり…三年間過ごした大学生活はそれなりに悪くなかったと思う。
 でも、やり直したいか?と聞かれれば、僕は間違いなくやり直したいと答える。不満ではなかったけれど、充足感はなく、モヤモヤしてしまう。彼女が出来なかったとか、遊び尽くせなかったとか、もっと稼げば良かったとか、そういう事に対して足りなさを感じている訳でない。決定的に必要なものが足りていない。
 
 就職し、社会に出ると、学生という肩書に守られ続けていた事に気づく。突然宙に放り出され、浮足立つ状態で背負ったことのない責任を背負い、神経はすり減るばかり。容赦ない無力感に襲われることもしばしば、立てなくなればそれまで。自分の中に土台がない新社会人は社会の荒波に耐え切れず、離職への道は免れない。

 大学は社会にでる前のモラトリアム期間だと思う。でもそれは誰に教えてもらうでもなく、自分で気付かなければいけないことなのだ。何となく送る大学生活はタブーなのだ。自分が何者か分かっていないうちは、丸腰で戦地へ向かうようなものだ。僕は気付くのが遅すぎたように思う。けど、悲観はしてない。むしろ、就活中盤に差し掛かった今で良かったとさえ思う。もっと後になって気付くことを思うと、ゾッとする。

 本音と建前をすり替えてはいけないと思う。真に自問自答した末の選択をできている人なら、就職活動で自信を砕かれ、何十社から不採用通知が届くこともない。心から納得のいく自分を探し続けるなら、卒業後多少の準備期間はあってもいいと思うのに。