ys10's diary

読み読み書き書き。

透明人間になりたい

最近人と関わるのが億劫で仕方ない。以前は気心の知れた友人達と話していると疲れている時でも気が紛れたものだけど、今はその友人たちに遊びに誘われてもなかなか気が進まない。ほとんどの時間を一人で過ごしてる。

友人の家に泊まったり、旅に出たりしてる自分の姿が想像できない。不必要なほど気を遣って楽しむどころでないし、相手も僕なんかと遊びに出たりは嫌だろう。普通に娯楽として誰かと遊んだり、食事に行ったり、旅に出たりすることに何故かハードルを感じる。人との接し方が分からなくなってきてる。

人に気を遣ってるつもりでも、遣うところを間違えてる気がする。配慮すべきところに気が付かなかったり、逆に不必要な気遣いを押し付けてしまってる時もあると思う。距離感が分からないから、何気ないやりとりでもぎこちなくなってしまう。

そんなことが続いて、ひどく自己嫌悪してしまう。考え過ぎだとわかっていても、いざ人に向い合ってみると不信感が募って抜け出せなくなる。「気にし過ぎるな」と言うけど、鈍感になれるならどんなに楽か。と思う。

前回の記事で、閉塞感を感じるのは意識の量が足りていないと書いたけど、恐らく僕にはそれが足りていないし、就活時期も半分過ぎたにもかかわらず、ますます閉塞感に拍車がかかっている。けれど一向に打開策が見つからない。一人で考え過ぎていることが問題だとは思うけど、人に会って話すということをあまりしたくない。自分に何の価値も見いだせない。

このままで上手くいく気がしない。人との繋がりも作れず、折角大学でできた友人関係も大切にできないようでは、これからどう人脈を築いていけようか。人との繋がりが重要になってくるこの世の中で、真っ先に淘汰されていくのが僕のような人種だろう。

ネガティブ思考に浸り過ぎて少ししんどくなってきたけど、生きていく以上、今抱えてる問題とは向き合い続けなければいけない。人と会って話すと自分の不甲斐なさや無知さに将来的な不安まで感じてしまって、軽い鬱症状に陥ったりする一方で、努力次第で克服できるという希望もなくはない。

ただ、川の流れに逆らって泳ぐのが大変であるように、自分を変えるのは途方もない努力と苦労と失敗を積まないといけない。時々苦しくなると、そんなことを考えて嫌になり、いっその事透明人間だったらどんなに楽かと思ったりする。

多分明日には気分が入れ替わってると思う。