ys10's diary

読み読み書き書き。

さとり世代

ゆとり世代の次?にあたるのかは分からないけど、その時代の若者の特性を指すさとり世代という言葉がある。いつの時代もそうやって若者をひと括りにして、そうして揶揄する当の大人たちは若い頃はそう言われていたことを棚に上げるのはどうなんだと思う。若さゆえの未熟さに難癖つけてるようにしか思えないし、何でもかんでも自分の狭い観測範囲内で見たことだけをさも一般論かのように話す人なんかいるけど、ああいうのを見ると何年生きてるんだ…と呆れてしまう。大人になれば経験も知識量も増えて思慮深くなり、少しずつ偏見が取り除かれて、その先に懐の広さだったり大人特有の余裕みたいなのが生まれてくるのだろうとか思っているのだけど、そんな簡単な話でもないのか。

 
この○○世代って、その時々の時代の特徴を反映した言葉みたいなところがあると思う。今で言うと、スマホの普及によって、多様なSNSでの交流やインターネットのお手軽感が増し、常に大量の情報に晒されるようになったところに「さとり」の要因がある。情報量が増えたといえど、良いものもあれば悪いものもある。その人にとって役に立つものかそうでないか、単純にコンテンツとしての価値の有無だったり、真偽が不明瞭だったり。さておき、未知への探究心が人間の行動原理的に重要な要素だったりするのだと思うけれど、何の行動も起こさず、スマホを片手間に操作すれば知りたいことについてある程度は知れるわけで、知的好奇心は満たされるわけである。これが現代人の行動力を抑制してる原因だったりするのかなーと。勿論利点もある、というか、ネットは賢く使えば利点だらけだと思うのですが、知りたいことから自分の興味の幅が広がっていく感じなんかは、ネットがまだ普及してなかった頃は手軽に感じられる感覚ではないと思うし、個人的にはこの時代に生まれて良かったなーとかも思う。少しそれたけど、ネット上に散らばる情報は玉石混交なわけで、しかも圧倒的に「石」な情報の方が多い。故に余計な、知る必要のない情報なんかも入ってくるけどそれを真に受けてしまうのか、ノイズとして右から左へ受け流せるかでネットの有用性はガラッとかわる。そのあたりはネットリテラシーの話になってくるのでここでは省くけど、ともかく今は情報過多社会で、良くも悪くも人々の行動力を抑制してるらしく、それは自分に当てはめても肯けるところだと思う。で、それらが若者の〇〇離れなんかを引き起こして、総合すると「さとり世代」という流れではないだろうか。
 
あとは生活が豊かになったことなんかもそうだ。十数年前に比べ、科学技術の発達によって何から何まで効率化し、便利になった。食料品は本当に安価でおいしいものが食べられるようになったし、建物や衛生面、ファッションや遊び何から何まで高水準化を遂げた。こういう風に書いてると、それらのサービスを受ける人々はなんて幸せなんだろうと思うけれど、現実は違う。確かに過去に比べれば恐ろしく便利な時代にはなったが、今を生きる僕らにとってはそれが日常で、当たり前のことと認識しているので特にありがたいとも思わない。思っている人もいるかもしれないが、あらゆる技術を開発した先人達に常々感謝の念を抱いてるような人なんてそうそういない。ほとんど意識すらしないだろう。そして、高水準なサービスが当たり前という風潮とは裏腹に、それらを与える側は必死に頭をひねって他社競合と市場競争しているわけで、もちろんサービスの質が上がるとともに社員に求められるスキルも高まっているはず。つまり、便利になればなるほど、一般的な社会人に求められる能力も高くなり、会社でやる仕事内容もハードなものになるんだろうなと思う。となると、企業で働くということは誰にでもできることではなくなってくるというか、「ごくごく一般的なサラリーマン」というさも平凡であるような表現も、サラリーマンという時点ですごいよなと思ったりする。そういうわけで、さとり世代の出世欲の低下や意欲の減退なんて言われているけど、それほど社会に出て活躍する、ということがハードになったからではないだろうか。
 
何となく感じてるあたりをざらっと書いてみたけど、落としどころが分からなくなってきたし何を言いたいかも曖昧だし眠いしでちょっと辛くなってきた。けどせっかくここまで書いたし、雑文でも本来形に残らないはずの自分の考えを言語化したものを消してしまうのはもったいない感じもするし、あとで大幅修正するとして、ひとまず残しておこうと思う。
 
まったくまとまってないけど、さとり世代という言葉から感じることを書いた記事でした。