短所を活かす処世術
自分が短所だと思ってるところ、直したいと思ってる性格や癖は誰しももってると思うのだけど、直さないほうが良いこともあるような気がする。もちろん短所は直せるにこしたことはなくて、できるだけ理想の自分に近づく為に努力してる人も少なくないと思うけれど、全く無くしてしまえば良いってものでもない。意図せずコンプレックスが良い方向に転じ、思いがけない収穫が得られたなんて経験はないだろうか。また、自分から見てダメな所でも、第三者的にはそれがその人のアイデンティティらしく映ってたなんてことはないだろうか。
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知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)
- 作者: 苅谷剛彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/05/20
- メディア: 平装-文?
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最近の作業のおとも
レポート書いたり本読んだり、何かしら作業してるとつい口がさみしくなって何か食べたくなります(デブでわない)。最近は決まってブルボンのチョコチップクッキーが机の上にある状態。
最寄りのスーパーにブルボンと森永の二種類が置いてるのですが、パッケージと一口サイズ感でブルボンの方が気に入ってるのでこっちばかり買ってしまう。
普通のプレーンクッキーにほろにがチョコチップが申し訳程度に散りばめられてるのがミソ。通常のプレーンクッキーもおいしいのですが、くどくて徐々に飽きてきてしまうのです。それをうまい具合に少量のチョコチップが中和してくれて、若干のほろ苦さが後をひく感じがたまらんです。
僕は普段あまりお菓子を食べなくて、たまに勧められたりとかもらったりとかしていただくぐらいなのですが、これは数週間前くらいからハマりだして、休みの日にふらっとスーパーまでこれだけ買いに出たりします。
近頃結構な頻度で食べてるからもうそろそろ飽きる頃だと思うけど、今もブログ書くついでに食べてる。コレとモンスターエナジーが最高の組み合わせ(ジャンク感)。最近一押しのお菓子です。
大学生のうちにやっておきたいことリスト
最近「これは今のうちにやっておきたいなあ...」と思うことが何故か増えてきました。不思議と一番時間がある時にはそんな事考えずに自堕落にしてて、どうして今更…感が拭えないですが。寧ろ卒業間際が近付き、残りの時間をどう使うかで真剣に考えだすようになったからでしょうか。
まとまった時間がとれる大学在学中にまとめてやっておきたいというのもあるのですが、自分がいいな!とか、やりたい!と思ったことをなるべく情熱が冷めないうちに経験しておいて、自分の中になんらかの刺激や影響をできるだけ取り入れておくのは、どんな些細なことでも後々社会人になってからの自分の考え方や振る舞い方に変化を与えるのではないかなあと思ったり。
基本的に遊び中心なのですが、たとえば漫画やアニメを観るにしても、コンテンツを消費する感覚ではなくて、なるべく得た刺激や感覚を自分の中に留めて、新しい考えに反映できたらいいなあと意識の高いことを思ったりします。就活終わっても卒研で時間的な余裕はそこまで無いだろうし、全部を網羅はし切れないだろうけど、一旦やっておきたいことをリストアップしておいて、就活決まった後、卒研を進める合間にできたらいいなあくらいに思ってます。
本を読み漁る
ジャンル問わず、新書、文学ざっくばらんに読み漁りたい。特に名著と呼ばれる文学作品にはあらかた目を通しておきたいです。社会人になってから一番恐れていることが、忙しさのあまり読書から離れてしまうこと。僕は一冊の本をじっくり消化する方なので、時間がなくなると速読で読んでしまいそうで怖い。充実感も薄っぺらくなると思うし、そうなると読書から離れてしまうかもしれない。もしものために、今のうちに読むべきものは読みためておきたいと思うのです。
一眼レフを買う
写真を撮るのが好きで(主に風景)、今でもちょくちょくいい素材に出会うとiPhoneのカメラで撮ったりなんかしてる。iPhoneで撮った写真はインスタグラムで加工できたりもするけど、一眼の写真加工の自由度を見てるとどうも物足りない気がする。明らかに表現の幅が変わってくるし、何より夜空を鮮明に写せるというのは大きい。一眼で撮るようになったらはてブのほうにうpりたいと思います。秋頃には買ってる予定なのだけど、それまでに就活決まってるかどうか...。
ジョジョを読む
ジョジョの奇妙な冒険シリーズ。アニメで一部と二部は見たけれど、面白すぎたので原作で全編網羅したい。名言集を見てるだけでワクワクしてくる。読みたい漫画を挙げたらキリがないのだけど、一つ選ぶとしたらコレでしょう。
ジブリ作品を見直す
透明人間になりたい
「閉塞感」を感じるのは意識の量が足らないから
日常で「閉塞感」を感じることはないだろうか?
肝心なところでつまずいたり、努力に見合う結果が出せなかったり、何事も思い通りにいかないなあってモヤモヤしてしまう。単に自分の能力不足のせいにしたり、環境に原因があるのかもしれない。けれどそれは、自分に「意識の量」が足らないからではないだろうか。「意識の量」なんて自分では測りようもないけれど、もし今自分が不満に感じているのなら、それは意識量の足りなさからくるものであって、多くは意識の量を増やすことによって解決されるとしたらどうだろう。
意識の量とはなんぞや?
意識の量とは、言い換えれば「気付く」能力である。たとえばこんなことを経験したり、そういう状況をみかけたことはないだろうか。
- 「これをやったら次にどうなるか」という簡単な予測ができず、ミスを繰り返す
- 質問しているのに答えない。反応が薄く、聞いてるのか聞いてないのかよくわからない
- 余裕がない。傍目から見ると、そのテンパり加減のせいで人間関係を壊したり、突然自分の仕事を放りだしてしまったりするんじゃないかと心配になる
これらのように、意識の量が足らない人は場の空気感が読めなかったり、相手の意志をくみ取るのが苦手だったりと、「気付く」能力が致命的に足りない。様々な職種、分野、価値観、身分の人たちと仕事をしなければならない社会人にとって、この能力の有無で仕事量の効率もスピードも変わってくるのではないだろうか。
たとえば何らかの食事会で多くの人が集まる状況なんかでも、ふとしたことに気付いて素早く動ける人と、言われるまで何も動けない人がいると思うけど、振る舞い方に大きな違いがある。明らかに前者のほうがデキる奴だし、後者のタイプの人は恐らく仕事はあまりできない人だろう。それに、余裕のある人とそうでない人のちょっとした雰囲気の違いは誰にでもなんとなく伝わるし、意識の量の大小はあっさり見抜かれてしまうものである。
僕はどちらかというと完全に意識の量が足らない部類だと思う。複数の事に気を巡らせられなくて、気付いた時には手遅れだったり、意識しておかなければならないことが他の事に意識がいってしまって手持無沙汰に...なんてことがしばしばある。特に初めてアルバイトとして働きだしたときなんかはそうだった。あの頃の状況を思い出すと、たしかに、「意識の量が足らなかった」という表現がなんとなくしっくりくる。
気付きの量には個人差があり、意識しようとして変えられるものではないけれど、これは訓練次第で伸ばすことができるそうなのだ。
最も効果的なのは、意識を配らないといけないような状況に身を置き続けること。このままではだめだ。どうにかしなくてはという切迫感のもと、意識量を強引に増やしていく。就職して意識の量がガラリと変わる人もいるそうだが、常に気遣いを求められる職場だと、意識の量も引き上げられるのだろう。意識の量は社会力ともいえる。
同時に複数のタスクに意識がいかない、どちらかに集中するとどちらかがおざなりになる。そういう場合は自動化領域を増やすとよい。一つのタスクを半自動的にこなせるまで練度を高める。そうすると周りに意識を配る余裕ができてくる。これには慣れが必要で、慣れない仕事に最初から複数の意識をめぐらせるのは誰にとっても難しい。まずは一つのことに集中を割いて、一つずつ自動化できる範囲を広げていくのだ。
実は、意識の量はこれまでこなしてきた仕事の経験知でもある。それまで蓄積されたものが多い人はこなす仕事の量も速さも違う。ここがベテランと新人の違いなんだろう。だれしも最初から「デキる人」ではない。ただ、意識の量の変わり方は個人差はあって、恐らくそこが同い年でも差がついてくるところなのだろう。失敗してもなるべくそれを経験知として蓄積し、成功体験も自分の中に積み立てていって、自分なりのメソッドを作り出す。それができる人が多くのことを成功につなげられるのではないだろうか。
積み本が増えてきて焦っている
埃かぶった積み本が増えてきて、どうにか消化したいなあ...どげんかできんかなあ...と危機感が募ってきた今日この頃。自分の部屋にある小さな本棚だけでは事足りなくなってきて、机の空いたスペースに未読の本を置いてあるのだけど、読んで字のごとく”積み本”状態。この調子でいけば積み本タワーできそう。
最近ちょっとした時間の隙間に本を読むくらいには、読書の習慣がついてきてる。習慣がつくと、本の消化スピードが若干なりとも上がってくるのだけれど、それ以上に自分の中の本の欲求が強くて、買った本の消化が追い付かなくなってる。完全に供給過多な気がする。
本への関心が強まった。というのも、一つの本がきっかけでその分野の別の本が欲しくなったり、たまたま書店で見かけた本の手に取ってみた感じが良かったりと、興味の糸口が順調に広がってきているのだ。特にはてブ始めてからたくさんのブロガーさんの記事を読むようになって、そのブロガーさんがおすすめする本で気になったものを買ったりもしてる。良いことだと思うけれど、反面、これが積み本をつくってしまってる一因のような気がする。
処理が追い付かずに入ってきた情報を十分に噛み砕く時間がないなら、入ってくる情報に制限をかけたほうがいいかもしれない。興味が先だって今読んでる本を消化しないうちに次の本を仕入れても、自分の中にあるものは変わらないわけだし。ただ情報に制限をかけるといっても、はてブやってるとたくさんの情報が目に入ってきて、その時に読まないことが損になる気がしたりするので、それがまた難しいのだけど。
このまま積み本が増え続けて、いざ読もうとしたときに興味が失せてたり、なぜその本を買ったのかも忘れてしまっているといった事態になりかねない。それはさすがに願い下げだし、僕は買った本はすべて精読して、自分の血肉にしていきたいと思ってる。本は自分の中に取り込めてようやく価値を発揮するのだ。
分量の多い本は3日、200ページくらいのライトなものは一日をノルマに読んでいこう。読んだその日か翌日に書評も欠かさず。
夏祭りの季節
いよいよ本格的夏のイベント、「夏祭り」なるものが各地で始まります。本日は関東の方で隅田川の花火大会があるみたいで、そこかしこで華やかに着飾った着物女子たちが見られるそうな。人ごみは苦手だけど、夏祭りの路肩に並ぶ屋台やら人だかりを見るのは割と好きな方です。それらひっくるめて夏!って感じがするし、何より花火最高じゃないですか。地元では小さい規模の催しがあるくらいなので、一度でいいから大規模なお祭りに参加してみたい。
さて、お祭りの屋台といえば、何を連想しますか?くじ引き、射的、金魚すくいもそうですが、やはり花火のお供には食べ物がとって欠かせない。焼きそば、たこ焼き、イカ焼き、フランクフルト、etc...ビールやチューハイと合わせて完璧。なんといっても、僕が子供の頃からお祭りに来ると必ず食べていたのが、かき氷です。絶対に外せないマストアイテムならぬマストフード。
ゴリゴリ削られた氷にあまーいシロップ。小さい頃はこれを食べるために夏を待ち焦がれてました。大学生になって夏祭りに足を運ばなくなり、あまりかき氷を食べなくなって久しい。今一度あの頃のように、屋台でかき氷を買って過去の思い出に浸りたい今日この頃。
昨日のヒルナンデス!でかき氷特集のようなコーナーがあったので、ボーっと眺めてたら、そこには僕の全く知らないかき氷があった。初めはかき氷を模した何か別のものだと疑ったのだけれど、製造過程の一部に氷を機械で削るシーンがあって、それがイマドキのかき氷というやつなのだそうだ。それは屋台で出てくるようなかき氷のイメージとまったくかけ離れたものだったのだ。ヒルナンデスに出てきたものと違うかもしれないけど、似たようなものの画像をgoogleから拾ってきました。
これが最近のかき氷らしいです。山盛りに盛られて上から見ると受け皿がほとんど見えない...。世間のトレンドに疎すぎてちょっとしたカルチャーショックを受けました。
単に上からシロップをかけるだけでなく、氷そのものに味がしみていたり、削りだした氷のきめが細かく、氷というよりフワフワのスイーツを見てるみたいな感覚。シロップのバリエーションも、昔より格段に増えてる模様。あとから別のシロップをつぎ足して二つの味を楽しめたりとか、もうなんかすごいことになってる。ぜんぜんワシの知っとるかき氷とちゃうやんけ。というか、かき氷が「スイーツ」の扱いになってるのには驚いた。少し前はパンケーキが女子ご用達のスイーツだったと思うけど、季節変わって、今はかき氷なんだろうか。
実はこのスイーツかき氷は、台湾から伝わってきたものだそうです。4月でも平均25度、真夏の気温は40度にも昇る台湾では冷たいスイーツが流行しており、かき氷はその中の一つ。そんな台湾かき氷は、日本にまして多種多様なトッピングができるそうな。そういえば、タピオカドリンクも台湾から来たスイーツで東京の方では流行ってるらしいけど、台湾ってそんなにスイーツの分野で進んでるのか。台湾はかわいい女の子も多いっていうし、素晴らしい国ですなあ。(単純)
夏祭りの話からずいぶん逸れてしまったけど、最近のかき氷がなんだか気になるっていうお話でした。
今年は夏祭り行けるかな...。