ys10's diary

読み読み書き書き。

積み本が増えてきて焦っている

 埃かぶった積み本が増えてきて、どうにか消化したいなあ...どげんかできんかなあ...と危機感が募ってきた今日この頃。自分の部屋にある小さな本棚だけでは事足りなくなってきて、机の空いたスペースに未読の本を置いてあるのだけど、読んで字のごとく”積み本”状態。この調子でいけば積み本タワーできそう。

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photo by julochka

 

 最近ちょっとした時間の隙間に本を読むくらいには、読書の習慣がついてきてる。習慣がつくと、本の消化スピードが若干なりとも上がってくるのだけれど、それ以上に自分の中の本の欲求が強くて、買った本の消化が追い付かなくなってる。完全に供給過多な気がする。

 

 本への関心が強まった。というのも、一つの本がきっかけでその分野の別の本が欲しくなったり、たまたま書店で見かけた本の手に取ってみた感じが良かったりと、興味の糸口が順調に広がってきているのだ。特にはてブ始めてからたくさんのブロガーさんの記事を読むようになって、そのブロガーさんがおすすめする本で気になったものを買ったりもしてる。良いことだと思うけれど、反面、これが積み本をつくってしまってる一因のような気がする。

 

 処理が追い付かずに入ってきた情報を十分に噛み砕く時間がないなら、入ってくる情報に制限をかけたほうがいいかもしれない。興味が先だって今読んでる本を消化しないうちに次の本を仕入れても、自分の中にあるものは変わらないわけだし。ただ情報に制限をかけるといっても、はてブやってるとたくさんの情報が目に入ってきて、その時に読まないことが損になる気がしたりするので、それがまた難しいのだけど。

 

 このまま積み本が増え続けて、いざ読もうとしたときに興味が失せてたり、なぜその本を買ったのかも忘れてしまっているといった事態になりかねない。それはさすがに願い下げだし、僕は買った本はすべて精読して、自分の血肉にしていきたいと思ってる。本は自分の中に取り込めてようやく価値を発揮するのだ。

 

 分量の多い本は3日、200ページくらいのライトなものは一日をノルマに読んでいこう。読んだその日か翌日に書評も欠かさず。

夏祭りの季節

 いよいよ本格的夏のイベント、「夏祭り」なるものが各地で始まります。本日は関東の方で隅田川の花火大会があるみたいで、そこかしこで華やかに着飾った着物女子たちが見られるそうな。人ごみは苦手だけど、夏祭りの路肩に並ぶ屋台やら人だかりを見るのは割と好きな方です。それらひっくるめて夏!って感じがするし、何より花火最高じゃないですか。地元では小さい規模の催しがあるくらいなので、一度でいいから大規模なお祭りに参加してみたい。

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photo by ONaniena

 

 さて、お祭りの屋台といえば、何を連想しますか?くじ引き、射的、金魚すくいもそうですが、やはり花火のお供には食べ物がとって欠かせない。焼きそば、たこ焼き、イカ焼き、フランクフルト、etc...ビールやチューハイと合わせて完璧。なんといっても、僕が子供の頃からお祭りに来ると必ず食べていたのが、かき氷です。絶対に外せないマストアイテムならぬマストフード。

 

 ゴリゴリ削られた氷にあまーいシロップ。小さい頃はこれを食べるために夏を待ち焦がれてました。大学生になって夏祭りに足を運ばなくなり、あまりかき氷を食べなくなって久しい。今一度あの頃のように、屋台でかき氷を買って過去の思い出に浸りたい今日この頃。

 

 昨日のヒルナンデス!でかき氷特集のようなコーナーがあったので、ボーっと眺めてたら、そこには僕の全く知らないかき氷があった。初めはかき氷を模した何か別のものだと疑ったのだけれど、製造過程の一部に氷を機械で削るシーンがあって、それがイマドキのかき氷というやつなのだそうだ。それは屋台で出てくるようなかき氷のイメージとまったくかけ離れたものだったのだ。ヒルナンデスに出てきたものと違うかもしれないけど、似たようなものの画像をgoogleから拾ってきました。

 

これが最近のかき氷らしいです。山盛りに盛られて上から見ると受け皿がほとんど見えない...。世間のトレンドに疎すぎてちょっとしたカルチャーショックを受けました。

単に上からシロップをかけるだけでなく、氷そのものに味がしみていたり、削りだした氷のきめが細かく、氷というよりフワフワのスイーツを見てるみたいな感覚。シロップのバリエーションも、昔より格段に増えてる模様。あとから別のシロップをつぎ足して二つの味を楽しめたりとか、もうなんかすごいことになってる。ぜんぜんワシの知っとるかき氷とちゃうやんけ。というか、かき氷が「スイーツ」の扱いになってるのには驚いた。少し前はパンケーキが女子ご用達のスイーツだったと思うけど、季節変わって、今はかき氷なんだろうか。

 

 実はこのスイーツかき氷は、台湾から伝わってきたものだそうです。4月でも平均25度、真夏の気温は40度にも昇る台湾では冷たいスイーツが流行しており、かき氷はその中の一つ。そんな台湾かき氷は、日本にまして多種多様なトッピングができるそうな。そういえば、タピオカドリンクも台湾から来たスイーツで東京の方では流行ってるらしいけど、台湾ってそんなにスイーツの分野で進んでるのか。台湾はかわいい女の子も多いっていうし、素晴らしい国ですなあ。(単純)

 

 夏祭りの話からずいぶん逸れてしまったけど、最近のかき氷がなんだか気になるっていうお話でした。

 今年は夏祭り行けるかな...。

熱中症には気を付けましょう

 朝のニュース番組でアナウンサーのこんな言葉を聞きました。「熱中症には気を付けて、いってらっしゃい!」最後の挨拶に軽く添えられた言葉ですが、真剣に気を付けるべきだと、最近の熱中症の重症化を見てると感じます。

 

 今年すでに熱中症で大勢の人が倒れている。重度のものだと倒れて救急車に運ばれたり、倒れてそのまま帰らぬ人になってることが日常茶飯事に起こっていて、もはや他人事のように感じられない。地球温暖化からくる平均気温の上昇なのか、現代人の暑さ耐性が弱まっているのかは分からないけど、今年は特に症状があらわれる人が多いし、これまで通りに過ごしてるとふと気を失ってそのまま・・・なんてことになりかねないのではないだろうか。症状も以前より多様化してるみたいで、なんだか侮れない。普段から多く汗かく活動したり、運動してる人は要対策です。

 

 ここ最近試験やレポートや就活やらで寝不足の状態が続いてたこともあってか、昨日の朝突然ひどい倦怠感に襲われました。熱はないのに寒気を感じたり、体中に異様なだるさを感じながら、大学向かう途中ずっと無気力状態。予定は朝の授業と研究室の進捗報告会だけしかなかったものの、あまりの辛さにレポートだけ提出boxに突っ込んですぐに帰宅後、即就寝。一日ゆっくり休むと、思いのほか早く回復しました。よくよく昨日の症状を思い出すと、熱中症の症状に近いものを感じて、ちょっとヒヤっとした。あのまま無理してたら結構やばかったかもしれない。

 

 熱中症の症状には、めまいや痙攣、意識が朦朧とする症状なんかが多いと思うけど、風邪の兆候に似た症状とかも最近発見されてるらしい。寒さを感じたり、関節に激痛が走ったり、汗をたくさんかいていない場合にも突然症状が現れたりする。これまでの熱中症のセオリーだと認識が追い付かないかもしれない。この時期の学生の部活動は酷暑の中体力的にも厳いので、地元の高校で頑張ってる学生の姿を見かけても若干不安になる。

 

 体調が崩れて弱ってる時にかかりやすいんだと思う。特に寝不足時。これが大きいと思う。関係ないけど、寝る時間削って~をする!っていう判断は絶対間違ってる。仕事の都合上寝る時間を確保しにくい場合だと、どうにもできないかもしれないけど。たとえば、仮に何時間か寝る時間削って生産的な時間を過ごしたとしても、次の日一日中パフォーマンスが低下した状態で活動するとなると、損が占める割合は大きい。他の事を切り詰めてでも、睡眠時間の確保は最優先事項だと思う。肌荒れ、集中力、記憶力の低下、がんのリスク、うつ症状、etc...寝不足は百害あって一利なしなのだから、大学生で夜遊びウェーイwwwしてる人も考え直そう。

 

 昨日の倦怠感が熱中症なのかどうかは分からないけど、明らかに今までの風邪の症状と一風変わった感じだったことは間違いなく言える。ひとまず対策としては、良好な健康状態を維持し続けること、長時間直射日光を浴びるような現場では水分補給をこまめにとること(あと塩分補給)、気温が高い場所に居続けないこと、少しでも不調に感じたら余裕をもって休むこと。

 

 自分にストイックな人とかは、ちょっと辛いぐらいでは自分を奮い立たせて頑張ってしまうかもしれないけど、ひどくなってからでは手遅れってケースも常に頭に留めるべきだと思う。僕は少しでも辛くなると手を休めてしまうけど、先を見据えた戦略的撤退としてはそういうのも大事なのではないかな。

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photo by Hernan Piñera

 

 楽しい夏を過ごすためにも、熱中症その他水難事故とかには気をつけましょう!

 

雑記としてのブログ

  こんばんは。課題に追われるあまり三日間何も書けなくて、筆不精に拍車があああ・・・とのたうちまわってたところ、こんな記事を発見。

dennou-kurage.hatenablog.com

ブログは毎日更新できるに越したことはないけど、それがなかなか難しい。ブログの在りようは人それぞれで、ジャンルも形式も多種多様だから、一概にコレといえる原因は断定できないけど、やはり時間的な制約と、書くネタがあるかどうかの二つが大きいと思う。どちらもなければ、毎日更新は多分結構むずかしい。そして、この「脱社畜ブログ」では主に後者について言及してる。

 

ブログに何かを書き出すのはアウトプットの作業で、それにはある一定量以上のインプットが必要である。以前見聞きしたり影響を受けた考えもそうだし、記事を書くにあたって仕入れた情報もインプット。ゼロからは何も生み出せないのである。特に情報発信を目的とするブログなんかだと、一つの記事を生み出すのに相当量のインプットが必要だと思う。ネットで調べたらすぐ出てくる程度の情報なら皆が知ってるわけだし、有用な記事にある程度のリサーチは必須である。

 

そういう有用な情報を見てもらうためのブログを運営するにはインプットをし続けなければいけないわけだけど、それを毎日となると、あるところでインプットに頭打ちが起こっても仕方ないだろう。一つの記事の「IO比」(Input/Outputの比率のこと)はそれがどういう記事かにもよるけど、I:O=10:1みたいな記事は結構更新が大変そう。もし本を一冊書くならば、I:O=100:1は必要だそうだ。

http://www.flickr.com/photos/46038908@N02/8196476743

photo by Sunchild57 Photography.

 

僕が普段書く雑記なんかは1アウトプットするのに高々0.5インプットくらいしか消費してないような薄っぺらい内容のものばかりだけど、たまにインプットが足らないあまり、文字数が足りなすぎることもある。それでも無理に書こうとして、1000字書くのに2時間以上かかったりして、結局滅茶苦茶でおじゃんになることもあるけど、ああいうときは無理に書かなくていい。

 

少しでも苦しいと思ったらその時は意図的にアウトプットを止めてインプットを増やしてみるといいと思う。しばらくネットに何も書かずに本を読んだり人に話を聞いたりすることを中心に生活していると、薄くなった空気が供給されて息が楽になるような、そんな気持ちになるはずだ。ブログの毎日更新にこだわる必要はまったくない。

 

無理してるなーと感じたら書かない方がいいのである。むしろそういう時は勉強の機会と思って色んな知識をインプットすることに時間を費やした方が賢明だなと思った。詰まるようなら無理に更新はしない。とはいっても、僕の場合は記事のクオリティ自体にはほとんど拘りはなくて、記録用みたいなものだから、毎日更新は無理にでも続けたい。ほぼ三日空いてしまったけど、明日からまた続けよう。

 

ブログを続けていると何か書くネタを探そうと、入ってきた情報に対してなにかを関連付けたり、そこから派生する何かを考えるようになったりと、情報に対する感度のようなものが若干なりとも上がってきた気がする。以前より考えることが多くなって、新しい見方を発見すると少し楽しくなったりする。

 

なるべくインプットは増やしていきたい。雑記系の記事を増やしてインプットを蓄えつつ、一定ラインまで貯まったら小出しにしていったり、一つのトピックに対して集中的にインプットを蓄えて、一つの記事にまとめてアウトプットするのもよさそう。

 

以前読んだヒトデさんのブログ記事もめちゃ励みになったことを思い出したので、貼っておこう。

hitode99.hatenablog.com

 

ではまた。

学生最後の夏

 7月も半分過ぎ、日増しに暑くなってる気がする。昨日の台風が例年以上の規模で、浸水やら土砂崩れの被害を被った地域も多かったみたいです。幸い自分の実家周辺がほとんど自然災害のダメージを受けることがなくて、ニュースや気象情報を見て予想外の事の大きさにびっくりしたり。つくづく立地の恩恵を受けてるなーと台風やら地震が起こるたびに思う。

 

 ここ最近台風の影響で蒸し返るような日が続いたり、雨やらで不快指数振りきれてたけど、もうそろそろ落ち着いてきただろうか。台風も過ぎ去り、小学生の子供たちは夏休みに突入し、昨日の金曜ロードショウが時をかける少女(夏の映画といえばこれ!)。初夏が過ぎ、いよいよ本格的なサマー到来です。夏本番待ったなし!季節本番少し手前はきまって胸のざわつきを感じるのは僕だけでしょうか。これからますます夏が深まるって考えると妙なワクワク感がありませんか?俺たちの夏はこれからだ!的な。

 

 実は今年の夏が人生で学生最後の夏になる予定です。戻ってこない青春の日々、直視したくない現実、爆発しないリア充、僕はいったい何をしてたんだろう…

 ふとそんな余計なことを考えて死にたくなる。しかしいざこれまでの夏を振り返ってみると、バイト先と家の往来を繰り返し、家では惰眠を貪り、怠惰の限りを尽くし…なるほど、僕には他人を蔑むどころか羨む権利すらないのだ(泣)!結局自分はある程度何らかの制約がないと堕落してしまう人種なのかもしれない…いや、これからが重要なのだ。まだ挽回はきく。今年の夏は違うのじゃ…

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photo by justonlysteve

 

 ふと、タイムスケジュールはできれば強みだなとおもった。時間管理なんてできて当然でしょみたいな風潮があるけど、案外社会人でもできてる人は少ないんじゃないだろうか。僕はスケジュール組んでる時だけイキイキしてて、いざ肝心のタスクをやろうとなると、ことごとくやる気が出なくなるという有様。スケジュール組んでるときは自分をデキる大学生と思い込む現象が起こってるんだと思う。まるで自己啓発本みたい。

 日頃から常習的にやってる人がいる反面、できない人はなかなか「スケジュール下手」から抜け出せないんじゃないだろうか。時間の有効活用術みたいなライフハック系の本はどうも胡散臭いし、日々試行錯誤して徐々に自分に合った方法論的なものを掴んでいくしかないのかしら。

 ひとまず現状として、今自分の頭にある、タイムスケジュールするにあたっての注意点を書き出してみる。

  1. 優先順位・・・先に片づけるべきことから優先順に並べる。勿論やるべきことを優先して、やりたいことは後回しである。
  2. 分量を調整する・・・自分の処理能力に見合った仕事量に抑える。できそうな量より控え目に調整するのがいいかもしれない。ある程度スケジュールを遵守できれば、スケジュールのモチベーションにつながるかもしれない。
  3. 何も考えない時間を作る・・・適度に息抜きは必要だけど、とりすぎはその後のタスクに支障がでる。そこをいい塩梅に調整するのが結構難しい。
  4. 自分をコントロールする・・・究極奥義。これができれば世話ない。

これらを実践できるかは別の話。というか、これらを実行するために自分のメンタルをどうコントロールするかって問題になってくるような気がする。これについては今すぐに答えは出せないし、保留ってことで。

 

なぜ、あの人の話に耳を傾けてしまうのか?

  題名に惹かれて即決で買ってしまいました。”なぜ、あの人の話に耳を傾けてしまうのか?ー公的言語トレーニングー”。光文社新書は初めて読んだ気がする。

 

 

タイトルを見て、そもそも「公的言語」とは?って疑問が頭に浮かんだと思います。言ってみれば、「公的言語」とは「ソト」のことばのこと。反対に挙げられる、「私的言語」とは「ウチ」のことば。

 

ここでいう「ウチ」と「ソト」の表現は、空間を区切る「内側」と「外側」の意味ではありません。例えば家族や親類、友達といった、普段頻繁に接する親しい間柄内での「ウチ」の関係というような、心理的距離の線引きの表現。対して初めて行く場であったり、初めて会う人達は「ソト」の関係である。そして、「ウチ」で使う「私的言語」と、「ソト」で使う「公的言語」があるということ。具体的には、普段の生活で僕らが友達とおしゃべりしたり、SNS内でくだらないやりとりをしたりするときに用いているのはもっぱら「私的言語」。かたや「公的言語」は、人前にでてスピーチしたり、初対面の人に何かを説明したりするといった場合に使う話し言葉。

 

 普段僕らは無意識のうちにこの公的言語と私的言語を使い分けているのだけど、その切り替えがどうも日本人は苦手らしいのだ。らしいというか、間違いなくそうなんだと思う。スピーチが得意なんて人はなかなか珍しいし、誰かに何かを説明するのだって、いざ話すとなるとうまく考えを整理できなかったり、言葉に詰まったり。「ウチ」ではいくらでも喋れるのに、見知らぬ人やお偉いさん相手となるとどうにも尻込みしてしまうって経験はあると思う。著者はこのことを「私的言語」の肥大化、「公的言語」のやせ細りだと懸念する。そして興味深いのが、この一因に、日本の「察し合い」の文化が絡んでくるという言説。

 

 日本には察することを美徳とする習わしがある。はっきりと示さず、お互いに「察する」ことが奥ゆかしいとさえされる日本の文化だが、公的言語的にこれは毒である。そもそも「察する」という行為はこれまでの相手をある程度認識している人のみができる。互いに共有している情報が多い中、細かい部分をあえて表現する必要がなくなる。なんとなくの不完全な文で会話は通じるのだ。これが落とし穴で、この心地よい「ウチ」の環境にどっぷりつかってしまうと、公的言語が不自由になってしまう。まさに今の若者がそんな状態だという。

 

 一生涯身内のつながりだけで暮らしていくならこういうことに意識を向ける必要がないのだけど、グローバル化が進み、多様な価値観が入り乱れる現代社会で、今や公的言語を使いこなせないようでは生きていけない。全く価値観の異なる相手に対しても堂々と自分を主張して相手に伝えられる能力が必要なのだ。若者ことば風に言うと、コミュ力が高くないといけんってこと。実際就職活動で一番重視されるのはコミュニケーションがとれるかどうかで、ここで公的言語能力を発揮できる若者とそうでない若者に大きな差ができるのはいわずもがな。

 

 で、実際に公的言語を使いこなす有名人の例として小泉元総理とプロゴルファーの石川遼選手が挙げられています。様々なインタビューや受け答えを文面に書き起こして分析しているのですが、確かに「この人の話を聞いていたい!」って気持ちになるし、不思議とその人が魅力的に映りますね。沢山の人に慕われるのもわかる気がする。

 一方話下手はとことん損する時代だなーとも思いました。人としての営みの大半がコミュニケーションなのだから、当然っちゃ当然なのですが。読んでる途中、自分の現状に変に焦りだしたりしたけど、最後の章あたりの、内向型の人もトレーニング次第でうまく立ち回れるという言説に少し勇気づけられました。

 

 コミュニケーションのハウツー本ではなく、コミュニケーションが苦手な人への危機意識を煽ってくれるような内容だったと思う。あと、小泉さんや石川選手のちょっとしたテクニックは非常に勉強になった。

 

 

ところで、若者が公的言語に苦手意識を持って「ソト」側の会話を避けたがるという言説でひっかかるものを感じてたのだけど、以前自分が同じ書いた記事に少し関連性あるようなないような。

 

kascado-ys10.hatenablog.com

 

明日の自分は自分が決める

  人生で初めて少女漫画なるものを買ってみました。一応少女漫画ではあるものの、キャッキャウフフな青春モノとは全く路線が違って、どちらかというとコミカル系、でも実はシリアス系な感じ。 

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

 

  行き遅れたアラサー女子を徹底的にフルボッコにする感じの内容です。行き遅れてしまったと実感のあるアラサー女子の方、読む際にはくれぐれもご注意を。。。

 

 30過ぎて、女子としての価値、世間からの需要が薄れてきたあたりでようやく焦りだすももう手遅れ、しかもこの期に及んで自分たちを”女子”と称し、行きつけの居酒屋で酒をあおりながら女子会という名の傷のなめあい。不毛極まる彼女達。それに女子会での酒の肴はもっぱら愚痴、慰めあい、そして”タラレバ”理想論で謎の結束を固める。ってかんじでしょうか。この漫画の登場人物を見ている限りでは。

 

 恐ろしいのは、最後のあとがきで、リアルに周囲にいるそういった人たちをモデルにしたお話とあったので、フィクションとは言い切れないあたりです。そういう悩みを抱えた女性が結構多いらしいのですが、なんせその悩みが重い。生涯一人で生きていく!という人を除いて、まだ大丈夫。。。と楽観視している人は、もしかすると予備軍かも知れないから、この漫画読んで頭打ち付けといたほうがいいかもしれない。

「まあなんとかなるっしょ!」って考えは危険信号かも。絵柄は非常にコミカルで、登場人物も個性豊かで作品自体普通に楽しくて面白おかしく描かれてるんですが。裏腹にテーマは結構シリアスでグサッとくる感じです。

 

 で、一応テーマはそういう”行き遅れ女子”たちに現実を突き付けるっていうもので、タイトルも「東京タラレバ娘」なのだけど、僕自身一概に笑って読んでられる内容ではなくて、当事者のような気がした。「東京タラレバ男子」もいるだろうし、別に東京でなくとも「タラレバ男子」「タラレバ女子」は世にたくさんいるのかも。

 

 一番まずいのは、失敗とリスクを避けて一向に行動しようしない人。少し離れた場外から渦中の当事者を非難してる人。そういう人ほど他人からの非難は恐れて、安全地帯からヤジばっかり飛ばしてる。いざ自分の番がきても「~したらするから!」「~できれば始めるから!」が口癖で結局行動は起こさない。気付けば自分は何も変わらないまま、以前自分が下に見ていた人たちは一生懸命もがいて欲しかったものを手に入れ、今や手の届かないところにいて、挽回しようにも手遅れって構図。

↑この野球の例えとか的確すぎる、、、

 

 こうはなりたくないでしょう(震え)プライドが先だってあとで手遅れになるなんて、後悔してもしきれないし、虚しすぎる。もし何かなりたいことや手に入れたいことがあるなら、バカに思われたり、恥さらしたりは上等ぐらいの姿勢で、ひたすら当事者で居続けるべし。明日の自分は自分しか決められないのだから。

 

 ともあれ、この漫画面白いので、何も考えずに読んでみてはいかがでしょう。少女漫画色々読んでみたさ。。。