ys10's diary

読み読み書き書き。

全国高校野球選手権決勝を見て思ったこと

 東海大相模仙台育英の決勝戦をテレビ中継で観ました。毎年甲子園を楽しみにしてるわけではなくて、真剣に応援したのも自分の高校の野球部が甲子園出場した時にアルプスタンドから応援した時くらいなのだけど、今日たまたま昼にテレビをつけたら丁度試合が始まったところだったので何の気なしに眺めていた。少しだけ見て作業に取り掛かかるつもりだったものの、僕はすっかり画面に見入ってしまった。そこでは、単なる「野球の試合」ではなく、勝負師同士の全身全霊の駆け引きのような、手に汗にぎる展開が繰り広げられていた。

 

 夏の全国高校野球選手権。一年に一度の大舞台。全国から地方予選を勝ち抜いた強豪校が甲子園の地に集い、トーナメントの勝ち抜きで優勝校が決まる。春の大会とは比にならないほど、夏の大会は特に熱量が違う。高校球児達の野球人生がこの大会に集約されているといっても過言ではない。日頃流した血と汗と涙の集大成をここでぶつけ合う。マウンドに立つ選手達の真剣な表情がそれを物語っている。

 

 そんな大舞台での決勝戦。僕が当事者ならどうにかなってしまいそうなくらい緊張してただろうし、プレッシャーで体が動かなくなっていたかもしれない。ただ、選手たちを見ていると緊張しているどころか、プレー時は至って冷静に見える。しかも、時に大胆なプレーを見せたり、一発奪取を狙って危険を顧みずに果敢に攻める。一年に一度、夏の甲子園の決勝戦という一大局面で、投球にしても、走塁にしても、両者とも多少のリスク覚悟で攻めの姿勢は崩さない。球児たちの心臓の強さに驚くがそれよりも、クールを装いながらも、内にある「勝ちへの執念」がそれを可能にしてるところもあるのではないか。「勝ちたい欲望」ではなく、体の底から湧き出るような、掻き毟るほどの勝ちへの執念、それが彼らに力を与えているような気がした。

 

 仙台育英が3点差を追う中、ツーアウト満塁のチャンスで、一番バッターが3打点ヒットをたたき出し、見事同点に追いついた場面があった。そういう修羅場は野球で別段珍しくないことだと思うけど、この上ない極限状態に結果を出せる勝負強さは、完全に勝負師のそれだ。何試合もあるプロ野球の世界では分かりにくかったけど、野球の試合はかなり精神的なタフさが求められるし、精神コントロールができないとかなりシビアな世界なのだと思う。野球、その他球技のみならず、スポーツに関してはどれもそうだと思うけど、試合は相手との戦いだけでなく己の戦いでもある。

 

 今日ほど真剣に野球観戦したことはなかったけど、特に甲子園決勝という密度の濃い試合だったからか、色んな気付きがあったし、何より素晴らしい試合だった。たまに夜中にやってる熱闘甲子園のドキュメンタリーとか見てちょっと感動したりもあるけれど、そういう背景事情なしに、純粋な野球の面白さがかいま見えた気がする。あと、選手たちの真剣な姿勢に心打たれた。僕はもっと頑張らないといけないな...と考えさせられました。

 

http://www.flickr.com/photos/68634595@N00/398433721

photo by B Tal

個人的key曲5選

 keyといえば”泣きゲー”でおなじみのゲームブランド。数々の神ゲー、神アニメを輩出するにとどまらず、新規アニヲタを多数生み出した。key作品からアニメを観るようになった人は多いのではないだろうか。

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 keyの中でも、名作と称されている作品に関しては麻枝准のシナリオ、作画、作中BGM、キャラクターの質の高さはいわずもがな、プラス情感に訴えかけてくる何かがある。僕はよほどのことがない限りアニメや映画で泣けないのだけど、「CLANNAD」のとあるシーンで初めてうるっときてしまった。CLANNADは人生

元々ギャルゲーということでキャラクターの画風は「萌え」な感じなのだけど、そういうアニメ絵に抵抗ある人にもおすすめしたい。アニメ見てる人で知らない人はいないのではないかな。

 

 key作品で卑怯だな(褒め言葉)と思うのは、感動的なシーンなどピンポイントで泣ける感じの曲を挿入してくるところ。視覚と聴覚両方で感動が押し寄せてくる。感動的な場面+感動的な楽曲=涙腺崩壊の図式。個人的に、keyアニメの魅力はそういう楽曲の素晴らしさによるところも大きいと思う。一つの作品の中に名曲が散りばめられている。どれも素晴らしく、甲乙つけがたいところだけど、特に自分の中で色褪せない5曲選ぶとするなら...と考えて選び出した珠玉の5曲を紹介したいと思います。

 

youーひぐらしのなく頃に


(高音質)ひぐらしのなく頃に you - YouTube

 サビだけで泣ける神曲。曲の展開はあくまで単調で、Aメロ、Bメロ、サビの繰り返しなのだけど、伴奏の変化につれてサビ部分の雰囲気が大きく変わっていく。最後辺りのトトロ的な雰囲気が好きすぎる。

 

My soul, Your Beats!ーAngel Beats!


【高音質】Angel Beats OP FULL『My Soul,Your Beats』 - YouTube

 angel beatsといえばこの曲。前奏のピアノが美しすぎる。ロックアレンジ調のユイver.もかっこよかったけど、このメロディにはピアノのアレンジが耳に心地よい。目を瞑って聞けば広大な情景が浮かぶかのよう。本当に美しい曲。

 

リトルバスターズ!EX OP


リトルバスターズ!EX OP -Full-【歌詞付】 - YouTube

 古き良き時代を思い出させてくれるかのような曲。何故か懐かしさがこみあげてくる。青春ソングではないと思うけれど、この曲聞いてると青春だなぁ...とかしみじみ思ってしまう。作中のキャラ達が思いっきり青春してるからかしら。歌詞を意識して聞いてみると余計にしみじみできる。

 

一番の宝物ーAngel Beats!


一番の宝物 ~Yui final ver.~ - YouTube

 個人的に一番の泣きソング。ユイ(サムネ左)の声優さんが歌ってるのですが、完全に感情移入してるのか、表現力が素晴らしい。「泣き」を体現してるかのよう。あのシーンでこんな曲流されたらそりゃ泣くでしょ...(泣)僕はこの曲でLisaファンになりました。

 

時を刻む唄ーCLANNAD after story


【高音質】CLANNAD AFTER STORY OP 『時を刻む唄』FULL 歌詞付 ...

 「CLANNADは人生」は熱狂的なオタクの誇張では決してない(オタク)。この曲を聴いてるだけで鳥肌が... ただこの世界に浸りすぎるとリアル世界とのあまりのギャップに絶望して身を投げそうになるから注意。たまにこうやって聞き返しても本当に素晴らしい曲だし、初めて聞いた時と変わらず、いつまでも色褪せることがないなぁと思う。CLANNADは人生(2回目)。

 

 以上、あくまで個人的な好みですが、key作品の数ある名曲の中から5曲だけざっと紹介してみました。本当は10曲くらいやりたかったけど、今日のところはここまで。

短所を活かす処世術

 自分が短所だと思ってるところ、直したいと思ってる性格や癖は誰しももってると思うのだけど、直さないほうが良いこともあるような気がする。もちろん短所は直せるにこしたことはなくて、できるだけ理想の自分に近づく為に努力してる人も少なくないと思うけれど、全く無くしてしまえば良いってものでもない。意図せずコンプレックスが良い方向に転じ、思いがけない収穫が得られたなんて経験はないだろうか。また、自分から見てダメな所でも、第三者的にはそれがその人のアイデンティティらしく映ってたなんてことはないだろうか。

 
 例えば、天然さ、仕事のできなさは社会人としては致命的な欠点のようでいて、それが親しみやすさに役立ってるなんて場合もあると思う。
「ダメさ」がむしろ効果的に働くのである。もちろん人柄や日常の態度が悪ければ即クビで終わる話なんだけども、常に懸命で礼儀正しい人なら、不思議と周りがフォローする空気になってくるんじゃないだろうか。特に女性なんかはこの特性を武器みたいに使ってる人もいる。いわゆる、「天然系女子」というやつである。わざと天然な女の子を装って、「かわいくて親しみやすくて、守ってあげたくなる女の子」を演じるのだけど、そういうのに未だに騙される男は多いらしい。天然を装う女の子は、実は狡猾で計算高いというパターンが多い(?)らしいのだけど、そういった、人に気に入られるために敢えて「ダメさ」を出していくことも場合によっては必要なのかと思ったりする。まあこの天然女子の例はかなり極端な例ではあると思うけど。
 
 セカオワのボーカルの人が「短所は長所」っていう発言をして、アンチに叩かれてたりしたけど、僕はあながち間違ってないと思った。短所はとらえ方によって長所になるだろうし、時と場合と環境によって別の側面を見せることもあるのではないか。自分の角度から見た性質と他人の角度から見た性質は若干違うといったふうに。自分の短所をいろんな角度から把握できて、短所をうまく活かせる術を身に着けたなら、それはまさに「短所が長所」になることなのではないだろうか。
 
 悩みやコンプレックスは人によって大きさもタイプも違うだろうし、どうひねっても長所になりえないだろうと思うところは努力して直すべきだと思うけれど、改善したのに周りからは「前の方がよかった」なんて言われることも、もしかしたら全くないこともないのでは(レアケースだと思いますが)。自分のことで何かを変えたいと思ってるとき、変わるように努力することは非常に大事ですが、そこを一旦別視点で見つめなおしてみることも考えに入れておいていいのではないかな?となんとなく思いました。

 

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

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最近の作業のおとも

 レポート書いたり本読んだり、何かしら作業してるとつい口がさみしくなって何か食べたくなります(デブでわない)。最近は決まってブルボンのチョコチップクッキーが机の上にある状態。

 

ブルボン チョコチップクッキー 15枚×12箱

ブルボン チョコチップクッキー 15枚×12箱

 

 最寄りのスーパーにブルボンと森永の二種類が置いてるのですが、パッケージと一口サイズ感でブルボンの方が気に入ってるのでこっちばかり買ってしまう。

 

普通のプレーンクッキーにほろにがチョコチップが申し訳程度に散りばめられてるのがミソ。通常のプレーンクッキーもおいしいのですが、くどくて徐々に飽きてきてしまうのです。それをうまい具合に少量のチョコチップが中和してくれて、若干のほろ苦さが後をひく感じがたまらんです。

 

僕は普段あまりお菓子を食べなくて、たまに勧められたりとかもらったりとかしていただくぐらいなのですが、これは数週間前くらいからハマりだして、休みの日にふらっとスーパーまでこれだけ買いに出たりします。

 

近頃結構な頻度で食べてるからもうそろそろ飽きる頃だと思うけど、今もブログ書くついでに食べてる。コレとモンスターエナジーが最高の組み合わせ(ジャンク感)。最近一押しのお菓子です。

 

モンスター エナジー 355ml×24本

モンスター エナジー 355ml×24本

 

 

大学生のうちにやっておきたいことリスト

 最近「これは今のうちにやっておきたいなあ...」と思うことが何故か増えてきました。不思議と一番時間がある時にはそんな事考えずに自堕落にしてて、どうして今更…感が拭えないですが。寧ろ卒業間際が近付き、残りの時間をどう使うかで真剣に考えだすようになったからでしょうか。

まとまった時間がとれる大学在学中にまとめてやっておきたいというのもあるのですが、自分がいいな!とか、やりたい!と思ったことをなるべく情熱が冷めないうちに経験しておいて、自分の中になんらかの刺激や影響をできるだけ取り入れておくのは、どんな些細なことでも後々社会人になってからの自分の考え方や振る舞い方に変化を与えるのではないかなあと思ったり。

基本的に遊び中心なのですが、たとえば漫画やアニメを観るにしても、コンテンツを消費する感覚ではなくて、なるべく得た刺激や感覚を自分の中に留めて、新しい考えに反映できたらいいなあと意識の高いことを思ったりします。就活終わっても卒研で時間的な余裕はそこまで無いだろうし、全部を網羅はし切れないだろうけど、一旦やっておきたいことをリストアップしておいて、就活決まった後、卒研を進める合間にできたらいいなあくらいに思ってます。

 

本を読み漁る

 ジャンル問わず、新書、文学ざっくばらんに読み漁りたい。特に名著と呼ばれる文学作品にはあらかた目を通しておきたいです。社会人になってから一番恐れていることが、忙しさのあまり読書から離れてしまうこと。僕は一冊の本をじっくり消化する方なので、時間がなくなると速読で読んでしまいそうで怖い。充実感も薄っぺらくなると思うし、そうなると読書から離れてしまうかもしれない。もしものために、今のうちに読むべきものは読みためておきたいと思うのです。

 

一眼レフを買う

 写真を撮るのが好きで(主に風景)、今でもちょくちょくいい素材に出会うとiPhoneのカメラで撮ったりなんかしてる。iPhoneで撮った写真はインスタグラムで加工できたりもするけど、一眼の写真加工の自由度を見てるとどうも物足りない気がする。明らかに表現の幅が変わってくるし、何より夜空を鮮明に写せるというのは大きい。一眼で撮るようになったらはてブのほうにうpりたいと思います。秋頃には買ってる予定なのだけど、それまでに就活決まってるかどうか...。

 

ジョジョを読む

 ジョジョの奇妙な冒険シリーズ。アニメで一部と二部は見たけれど、面白すぎたので原作で全編網羅したい。名言集を見てるだけでワクワクしてくる。読みたい漫画を挙げたらキリがないのだけど、一つ選ぶとしたらコレでしょう。

 

ジブリ作品を見直す

 日本のアニメーション映画の中でもジブリ作品は格別だと思う。金曜ロードショージブリ作品の日なんかは夕方が近づくと何故かそわそわするし、見れない時は録画は欠かせない。世代問わず魅了する不朽の名作を輩出し続ける宮崎監督は日本が誇るアニメーション作家だと思う。ほぼ一通り見てはいるのだけど、長い間じっくり観れてないのもあるので、今一度見直してジブリ愛を深めたい。 

 

 

 

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

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 ざっとこんなところでしょうか。最近不安だらけで普段のマイナス思考に拍車がかかって精神汚染に蝕まれそうになってたのですが、ポジティブ思考でいないと掴めるものも掴めなくなるし、楽しいこと考えて乗り切ろうってことで、今の願望欲望を書き出してみました。気休めながら、こうやってやりたいことを書き出してみる作業は、不安や不満をある程度誤魔化してくれるものでないかなと。

透明人間になりたい

最近人と関わるのが億劫で仕方ない。以前は気心の知れた友人達と話していると疲れている時でも気が紛れたものだけど、今はその友人たちに遊びに誘われてもなかなか気が進まない。ほとんどの時間を一人で過ごしてる。

友人の家に泊まったり、旅に出たりしてる自分の姿が想像できない。不必要なほど気を遣って楽しむどころでないし、相手も僕なんかと遊びに出たりは嫌だろう。普通に娯楽として誰かと遊んだり、食事に行ったり、旅に出たりすることに何故かハードルを感じる。人との接し方が分からなくなってきてる。

人に気を遣ってるつもりでも、遣うところを間違えてる気がする。配慮すべきところに気が付かなかったり、逆に不必要な気遣いを押し付けてしまってる時もあると思う。距離感が分からないから、何気ないやりとりでもぎこちなくなってしまう。

そんなことが続いて、ひどく自己嫌悪してしまう。考え過ぎだとわかっていても、いざ人に向い合ってみると不信感が募って抜け出せなくなる。「気にし過ぎるな」と言うけど、鈍感になれるならどんなに楽か。と思う。

前回の記事で、閉塞感を感じるのは意識の量が足りていないと書いたけど、恐らく僕にはそれが足りていないし、就活時期も半分過ぎたにもかかわらず、ますます閉塞感に拍車がかかっている。けれど一向に打開策が見つからない。一人で考え過ぎていることが問題だとは思うけど、人に会って話すということをあまりしたくない。自分に何の価値も見いだせない。

このままで上手くいく気がしない。人との繋がりも作れず、折角大学でできた友人関係も大切にできないようでは、これからどう人脈を築いていけようか。人との繋がりが重要になってくるこの世の中で、真っ先に淘汰されていくのが僕のような人種だろう。

ネガティブ思考に浸り過ぎて少ししんどくなってきたけど、生きていく以上、今抱えてる問題とは向き合い続けなければいけない。人と会って話すと自分の不甲斐なさや無知さに将来的な不安まで感じてしまって、軽い鬱症状に陥ったりする一方で、努力次第で克服できるという希望もなくはない。

ただ、川の流れに逆らって泳ぐのが大変であるように、自分を変えるのは途方もない努力と苦労と失敗を積まないといけない。時々苦しくなると、そんなことを考えて嫌になり、いっその事透明人間だったらどんなに楽かと思ったりする。

多分明日には気分が入れ替わってると思う。

「閉塞感」を感じるのは意識の量が足らないから

日常で「閉塞感」を感じることはないだろうか?

肝心なところでつまずいたり、努力に見合う結果が出せなかったり、何事も思い通りにいかないなあってモヤモヤしてしまう。単に自分の能力不足のせいにしたり、環境に原因があるのかもしれない。けれどそれは、自分に「意識の量」が足らないからではないだろうか。「意識の量」なんて自分では測りようもないけれど、もし今自分が不満に感じているのなら、それは意識量の足りなさからくるものであって、多くは意識の量を増やすことによって解決されるとしたらどうだろう。

 

「意識の量」を増やせ! (光文社新書 522)

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意識の量とはなんぞや?

意識の量とは、言い換えれば「気付く」能力である。たとえばこんなことを経験したり、そういう状況をみかけたことはないだろうか。

  • 「これをやったら次にどうなるか」という簡単な予測ができず、ミスを繰り返す
  • 質問しているのに答えない。反応が薄く、聞いてるのか聞いてないのかよくわからない
  • 余裕がない。傍目から見ると、そのテンパり加減のせいで人間関係を壊したり、突然自分の仕事を放りだしてしまったりするんじゃないかと心配になる

これらのように、意識の量が足らない人は場の空気感が読めなかったり、相手の意志をくみ取るのが苦手だったりと、「気付く」能力が致命的に足りない。様々な職種、分野、価値観、身分の人たちと仕事をしなければならない社会人にとって、この能力の有無で仕事量の効率もスピードも変わってくるのではないだろうか。

 

たとえば何らかの食事会で多くの人が集まる状況なんかでも、ふとしたことに気付いて素早く動ける人と、言われるまで何も動けない人がいると思うけど、振る舞い方に大きな違いがある。明らかに前者のほうがデキる奴だし、後者のタイプの人は恐らく仕事はあまりできない人だろう。それに、余裕のある人とそうでない人のちょっとした雰囲気の違いは誰にでもなんとなく伝わるし、意識の量の大小はあっさり見抜かれてしまうものである。

 

僕はどちらかというと完全に意識の量が足らない部類だと思う。複数の事に気を巡らせられなくて、気付いた時には手遅れだったり、意識しておかなければならないことが他の事に意識がいってしまって手持無沙汰に...なんてことがしばしばある。特に初めてアルバイトとして働きだしたときなんかはそうだった。あの頃の状況を思い出すと、たしかに、「意識の量が足らなかった」という表現がなんとなくしっくりくる。

 

気付きの量には個人差があり、意識しようとして変えられるものではないけれど、これは訓練次第で伸ばすことができるそうなのだ。

 

最も効果的なのは、意識を配らないといけないような状況に身を置き続けること。このままではだめだ。どうにかしなくてはという切迫感のもと、意識量を強引に増やしていく。就職して意識の量がガラリと変わる人もいるそうだが、常に気遣いを求められる職場だと、意識の量も引き上げられるのだろう。意識の量は社会力ともいえる。

 

同時に複数のタスクに意識がいかない、どちらかに集中するとどちらかがおざなりになる。そういう場合は自動化領域を増やすとよい。一つのタスクを半自動的にこなせるまで練度を高める。そうすると周りに意識を配る余裕ができてくる。これには慣れが必要で、慣れない仕事に最初から複数の意識をめぐらせるのは誰にとっても難しい。まずは一つのことに集中を割いて、一つずつ自動化できる範囲を広げていくのだ。

 

実は、意識の量はこれまでこなしてきた仕事の経験知でもある。それまで蓄積されたものが多い人はこなす仕事の量も速さも違う。ここがベテランと新人の違いなんだろう。だれしも最初から「デキる人」ではない。ただ、意識の量の変わり方は個人差はあって、恐らくそこが同い年でも差がついてくるところなのだろう。失敗してもなるべくそれを経験知として蓄積し、成功体験も自分の中に積み立てていって、自分なりのメソッドを作り出す。それができる人が多くのことを成功につなげられるのではないだろうか。