ys10's diary

読み読み書き書き。

恐ろしい俯瞰中毒という症状

 朝井リョウの「何者」を読んで思ったこと。

 

何者

何者

 

 

直木賞受賞作品。就活がテーマということで、この間まで就職活動にいそしんでいた僕にとってはいくつか共感するところがあるかもしれないと期待しながら読み始めたものの、目をそむけたくなるほど辛辣な内容だった。共感できる節がある人が読めば精神ダメージ大なはず。簡単に言えば、ある大学生の就職活動の一面を切り取ったようなストーリー。けれど、この物語の本質は、就職活動によって浮き彫りにされる人間の醜い部分であり、それは就職活動に限った話ではなく、どんな状況にもついて回るもののような気がした。

 

俯瞰型人間

 他人を俯瞰することで優位性を保ち、自尊心を慰める。まさにこの物語の主人公は「俯瞰型人間」で、一見冷静に周囲を見ているようでいて、当の自分は実際的な行動を何も起こしていない。こういうタイプの人は、常に周囲を観察していて細かい表情の変化や心の機微にすぐ気づけるのだけど、そうであるが故に必要以上に懐疑的になってしまい、その結果自分の行動そのものに懐疑的になり、結局何もできなくなるんだと思う。自分の思い込みが自分の行動を抑制してしまい、その結果「何者」にもなれない。特にネットが普及し、某巨大掲示板に匿名で好き勝手に書き込みができるようになってからはいくらでも誹謗中傷ができるようになったし、ネットに毒されるとそういった傾向に陥ってしまうのではないだろうか。

 

俯瞰中毒者は何者にもなれない

 常に周囲の言動に難癖をつけてるような「俯瞰中毒者」は気を付けたほうがいい。先に書いたように、俯瞰することが趣味になっているとしたら、それは「そうでもしないと自尊心を守れない」だったり、「優位性を保つ心理の現れ」だったりするわけで、あくまでネットやSNS上で自分を慰めているにすぎないから。そうしてずっと自分を守り続たところで、何も生まれないし、何も進まない。他人をあれこれ批判したり、他人の不幸をほじくり出して自分を安心させたりすることは人である以上、少なからずそういう醜い感情はあるとは思うけれど、そういうことに時間を割いて人を愚かだと指さしている間に、指さされている人たちはもがきながらも一歩二歩と進んでいる。

 

 俯瞰癖を治すのに一番効果的なのは、俯瞰される側になってみること。批判されることを恐れたうえで、自分を人前に出してみることだと思う。もっと言えば、何に対しても、与えられる側から与える側になってみるのが得策だろう。自分の好きなもの、例えば絵でもいいし、音楽でもいいし、文章でもいい。会社員になれば文書を作成したり、プレゼンテーションしたり、営業で商品を売り込んだり、とにかくなんでもいので、人にサービスする側になってみること。つまり、なんらかの企業に属し、会社の一員として働く以上、否応なくサービスを与える側の「自分」と、それを享受する他者を意識する。自分は「当事者」になり、安全地帯から俯瞰している暇はない。就職活動は、これまで「何者」でもなかった自分を「何者」かにすり合わせていく機会だと思う。もちろんそれまでに確固たる芯ができあがっている人もいるし、それは個人差だと思うけれど、少なくとも「何者」かになろうとできない人に就職する資格はない。主人公の拓人はtwitterの裏アカウントで就活中の友人の痛々しい言動を俯瞰する一方、内定は出ないままでいる。