雑記と個性の話
カテゴリーに「雑記」はいらないよという話。
人の心を掴むのは凡庸な文章ではなく、個性的である文章という主張が印象的だった本。
本心から、自分の書く文章を読んで雑と思い「雑記」とカテゴライズするわけですが、それだと全ての記事に雑記タグつけないといけないしそれもはやカテゴライズする意味ないのではという気もする。あと、本当に忙しい中時間を捻出して最低限見繕ったような文章なら「雑記」なのだと思うけど、時間をたっぷり使って自分なりに構成を練ってボリュームも増やして言葉も選びつつ丹精込めて書いた文に対して「雑記」としてしまうのは不自然だ。というか不誠実だし精神衛生上良くないと思う。もちろん謙遜の意味で使ってるパターンがほとんどだと思うし、色々書いた後、「拙文失礼致しました」みたいな様式美的な意味合いでもあるから一概には言えないけど、他の人どうこうでなく、少なくとも僕みたいな奴は使ってはいけない。なんというか、割と頑張って書いた文に対して雑記は言い訳じみててみっともないと最近思う。あと、自分なりに納得のいくものができあがってないなどという気持ちは、身の程を把握できてないから出てくるような感想で、寧ろ自分を見ようとしてない、自己否定的な用法での「雑記」を無意識に使ってるとしたら、直ちに止めるべきだと思う。正直他のブロガーさんの記事とか読んでるといつの間にか劣等感の塊みたいになるのですが、その後自分の記事読んで「うわあダメだ。あれもこれも雑記。」の流れで自分を卑下しちゃうことによって上達の意欲を削いでしまってる気がするし、そもそもそれでは何のためにせっかくのブログをやっているのか分からない。自分がこうしてあれこれ書いてるのはなんの為さ。
その流れでついでに言うと、誰かと自分を比較して自分を貶めることは、心理的に自分の個性を殺すことだとも思う。個性というのはどれほど自分に向き合うことに時間を費やすかで研ぎ澄まされていって、それがある一定値を超えると表出したりして他者に魅力的に映ったりするのではないだろうか。だからこそ、他者との「良し悪しの比較」なんてものは非建設的だ。そんなことを考えるなら、自分に意識を向けるべきだと思うし、「自分に夢中になれる」という状態が理想的かもしれない。なんというか、没個性的なのが一番避けるべきことで、やっばり人の顔色伺ったり、角が立つことを恐れて自分を出さなかったりして自分を押し殺していく内に個性は引っ込んでしまうような気もする。とはいえそれが実生活では難しいのが現実で、だからこそこういう場で自己表現しつつ、実は個性を磨いていくということもできるのがブログなのかなと思ったりする。
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/12/17
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 194回
- この商品を含むブログ (24件) を見る