勉強計画のススメ
人間は基本的に忘れる生き物で、一度覚えたことをそのまま長期間覚えておけない。
どんなにインプットに得手不得手があったとしても、こと「忘れること」に関しては個人差はないらしいのだ。エビングハウスの忘却曲線とは、一度脳にインプットした情報量がどうのような推移で減少していくかを分かりやすくグラフ化したもの。一般的に、これだけ忘れてしまうのだそうだ。↓
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一眼レフに思いを馳せる
一眼レフが欲しい。。。時折スマホのカメラで風景をとってみて、うまく撮れたらニヤニヤしながらinstagramにアップするなんてのを繰り返してるうちに、写真を撮るのがとにかく楽しいということに気付いた。外をぶらぶら散歩してる時なんかに風景を眺めてて、「これはいい絵になるかもしれない」とふと感じることがあると、スマホのカメラアプリを起動し、ワンタッチで撮影する。以外に上手く撮れてたりすると、ちょっと気取って加工なんかしてみたり、それが我ながら上出来に見えて自画自賛しつつ終始眺めてたりする。最近はスマホのカメラも性能が良く、びっくりするくらい綺麗に写真が撮れるのだ。以前は写真は思い出を残すためだとか、記録しておくための手段くらいにしか思っていなかったのだけど、最近のカメラ、もっぱら一眼レフのような高性能で多機能なカメラが映し出す風景はそういうものを超えている。もはや芸術の域だし、写真撮影は芸術活動だとも思う。
なんの変哲もない日常風景が、最近のカメラの性能をもってすれば、非日常的に様変わりする。光の当て方だったり、背景のぼかし具合だったりで、一見無機質な風景でさえ彩づく。絵や小説や音楽などの芸術作品は、素晴らしい作品を生み出せるようになるには相当量の練習や経験が必要になるけれど、こと写真に関してはその敷居は限りなく低いといってもいい。思うがままに風景を切り取るだけで、一つの芸術作品が仕上がる。特に比較的安価なカメラですら性能が格段に優れているということもあり、初心者でも写真心さえあればサクッと良い絵を撮ることができるのだ。さすがにプロ並みとまではいかずとも、初めて間もない頃から”プロが撮った風な”写真を撮影できるのは、写真を撮るのが好きな人にとってはこの上ない魅力ではないだろうか。
とはいえ、性能がいいだけあって値もそれなりに張るし、いざ購入するとなると学生の身分の僕にとっては慎重にならざるを得ない。価格ドットコムで調べたところデジイチの価格の相場は入門機でだいたい7~10万くらいするそうで、レンズの値段も考えたらおいそれと手が出ない価格だ。まあ真剣に購入を検討するならレンズ入れて11万くらいを想定に色々みようかなと思ってる。初めて本格的な一眼を触るような初心者でも使いやすく、かつそれなりに多機能なものはないか、下調べしておいたほうが間違いないだろうなと思う。
ところで、一眼レフが欲しいなぁ。。。と思い出始めたきっかけは、スマホのカメラでは満足できなくなってきたからだ。今iPhoneのカメラで色々撮って、instagramでぼかしたり色調を変えてみたりと加工をしているのだけど、やはりどうしても限度がある。雰囲気に合わせてぼけ具合を調節なんてできないし、星空を撮って画面を確認すると真っ暗な画像しか映っていなかったりする。せっかくいい素材に出会っても思い通りに撮れないのがなんとももどかしい。
ようやく本題にはいるけど、とりあえず自分が撮りたいのはどういう写真で、それを再現するにはどういう機能が必要か、かつそれらが備わったカメラで予算内に収まるようなカメラを探したい。そこで、自分が欲しい機能の判断基準をはっきりさせよう。
まず、被写体を明確に捉えられるよう「光量設定」は選ぶ上で最優先基準にしたい。要は明るさ調整機能みたいなものである。具体的には「露出」や「ISO感度」、「ホワイトバランス」や「測光」といった機能で調節できるらしい。次に焦点距離、これは本体よりもレンズ次第で大きく変わるそうだけれど、特にこだわりのない初心者のうちからアブノーマルなレンズに手を出すのはさすがに怖い気がするのでここは標準仕様でいいかなと。広角レンズで撮影した写真なんか素晴らしいけど、色々機能を試したところ後で遅くないだろう。
ちょっと調べたところだけど、一眼レフを触ったこともない人間が機能面を気にしてるのも変な気がしてきた。。。というのも、正直性能について調べててもよくわからない専門用語ばっかりで若干疲れてくるし、適正露出!とか言われても全然ピンとこない。やっぱり調べるより最初は勉強料として初心者向けの手ごろなのを買ったほうが良いかも。そんな感じで入門用によさげなのをいくつか。
Nikon デジタル一眼レフカメラ D3300 18-55 VR IIレンズキット ブラック D3300LKBK
- 出版社/メーカー: ニコン
- 発売日: 2014/02/06
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Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X5 ダブルズームキット EF-S18-55mm/EF-S55-250mm付属 KISSX5-WKIT
- 出版社/メーカー: キヤノン
- 発売日: 2011/03/03
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入門用でググってみたところ、割と性能が良くて数万台のものも結構出回ってるようで、最初から10万超えるようなものに手を出さなくてもいいような気がしてきた。とにかくいじってみないとわからないことだらけだし、入門機でも十分高いのだけど、えいやっ!と思い切って買ってみようと思う。
暇見つけて家電店見てこようかな。
箇条書きは簡単だけど文脈で書けない
恐ろしい俯瞰中毒という症状
朝井リョウの「何者」を読んで思ったこと。
直木賞受賞作品。就活がテーマということで、この間まで就職活動にいそしんでいた僕にとってはいくつか共感するところがあるかもしれないと期待しながら読み始めたものの、目をそむけたくなるほど辛辣な内容だった。共感できる節がある人が読めば精神ダメージ大なはず。簡単に言えば、ある大学生の就職活動の一面を切り取ったようなストーリー。けれど、この物語の本質は、就職活動によって浮き彫りにされる人間の醜い部分であり、それは就職活動に限った話ではなく、どんな状況にもついて回るもののような気がした。
俯瞰型人間
他人を俯瞰することで優位性を保ち、自尊心を慰める。まさにこの物語の主人公は「俯瞰型人間」で、一見冷静に周囲を見ているようでいて、当の自分は実際的な行動を何も起こしていない。こういうタイプの人は、常に周囲を観察していて細かい表情の変化や心の機微にすぐ気づけるのだけど、そうであるが故に必要以上に懐疑的になってしまい、その結果自分の行動そのものに懐疑的になり、結局何もできなくなるんだと思う。自分の思い込みが自分の行動を抑制してしまい、その結果「何者」にもなれない。特にネットが普及し、某巨大掲示板に匿名で好き勝手に書き込みができるようになってからはいくらでも誹謗中傷ができるようになったし、ネットに毒されるとそういった傾向に陥ってしまうのではないだろうか。
俯瞰中毒者は何者にもなれない
常に周囲の言動に難癖をつけてるような「俯瞰中毒者」は気を付けたほうがいい。先に書いたように、俯瞰することが趣味になっているとしたら、それは「そうでもしないと自尊心を守れない」だったり、「優位性を保つ心理の現れ」だったりするわけで、あくまでネットやSNS上で自分を慰めているにすぎないから。そうしてずっと自分を守り続たところで、何も生まれないし、何も進まない。他人をあれこれ批判したり、他人の不幸をほじくり出して自分を安心させたりすることは人である以上、少なからずそういう醜い感情はあるとは思うけれど、そういうことに時間を割いて人を愚かだと指さしている間に、指さされている人たちはもがきながらも一歩二歩と進んでいる。
俯瞰癖を治すのに一番効果的なのは、俯瞰される側になってみること。批判されることを恐れたうえで、自分を人前に出してみることだと思う。もっと言えば、何に対しても、与えられる側から与える側になってみるのが得策だろう。自分の好きなもの、例えば絵でもいいし、音楽でもいいし、文章でもいい。会社員になれば文書を作成したり、プレゼンテーションしたり、営業で商品を売り込んだり、とにかくなんでもいので、人にサービスする側になってみること。つまり、なんらかの企業に属し、会社の一員として働く以上、否応なくサービスを与える側の「自分」と、それを享受する他者を意識する。自分は「当事者」になり、安全地帯から俯瞰している暇はない。就職活動は、これまで「何者」でもなかった自分を「何者」かにすり合わせていく機会だと思う。もちろんそれまでに確固たる芯ができあがっている人もいるし、それは個人差だと思うけれど、少なくとも「何者」かになろうとできない人に就職する資格はない。主人公の拓人はtwitterの裏アカウントで就活中の友人の痛々しい言動を俯瞰する一方、内定は出ないままでいる。
失敗に寛容でありたい
明らかに失敗する、上手く行かないと分かりきってる事に、敢えてぶつかりに行くのは大事だと思う。誰だって出来る事なら失敗したくないし、プライドを砕かれたり恥をかいたりなんてことはM気質でない限り喜ばない。ともすればしばらく立ち直れなくなるかもしれないし、深く傷付くのは誰だって避けたい。だから、勝ち目の少ない勝負前ほど、なるべく失敗の少ないように用心深く準備するものだし、勝ち目の薄い勝負に出ることは賢明でないと割りきる。僕はこれまでの人生で、とりわけ負けて失う物が多くて勝ち目が薄い勝負には出てこなかった。自分が傷付くのを極端に恐れていたし、今だってそうだ。ただ、そうやって失敗や恥を避けてるようでは、自分を変えることは到底叶わないなとふと思った。
2016.1.19追記:
大学卒業間近、まだ社会人にもなっていない僕は大した能力どころか、世間一般に普通とされることすら満足にこなせない未熟者だ。よく言われる話だが、それは裏を返せば可能性に満ち溢れてるともとれる。もちろんこのまま何もせず手放しでいれば成長できるなんてめでたいことは言わないが、目標さえあればそこに向かってとりあえずは進めばなんとかなると考えていいと思う。
ここ最近で、若年層と中年世代の、「ブログ」の捉え方や「インターネット」の捉え方にすれ違いが生じている。それは今に始まったことでなく、以前からそれぞれの見解の相違はあって、なにかをきっかけに顕在化し、論壇に上がったのだと思う。そこでは様々なブロガーがそのことについてブコメで言及したり、主張を記事にしたりして、こういった主張のぶつかり合いは読んでいてとても考えさせられるところがある。
中でも、古参ブロガーの主張はやはり重みがある。あらゆる面で知識と経験に劣る新参者は可能性に満ちてはいるが、その分空回りすることも多く、さも自分が大正義みたいな顔してその実とんでもない間違いを犯していたりなんてこともあるだろう。けれどこのはてな界隈での一連の出来事を見て、古参ブロガーが新規ブロガーに対し、「自分達にもそういう時期があったよ。決して間違っているわけではないから、自分の信じる方へ進みなさい。」と優しく問いかけているような方もいた。
今の僕は同年代と比べても圧倒的に経験不足で知識もかけていて、そのことについて劣等感を抱えることもしばしばだけど、それはあくまで自分の基準視点であり、一般的なサラリーマン目線では優秀とされる学生と、自分で無能だと感じながら過ごしている学生は実は大して変わらない位置づけにいるのかもしれない。そう考えたらこれからだと思えるし、どんなに自分の能力不足を嘆こうが愚直にやれば報われると考えるべきだ。
一番回避すべきは、自分の現状の能力不足を嘆くといった状態だ。これは本当に不毛で、委縮してしまうだけでなく、得られたかもしれないことを取り逃すような事態につながりかねない。できなくてもともと、無能で愚かで役立たずだけど、だからといってそういう弱い部分に蓋をして見ないようにしたりとか、現実逃避しないように、一ミリずつでも精進すべきだ。
今自分の無力感に悩まされている自身に向け、自戒の意をこめて。
借りぐらしのアリエッティ 感想
TSUTAYAレンタルで「借りぐらしのアリエッティ」を借りてきて観ました。とてもよかった。これまでのジブリ作品と比べると失速してるなんて評価もありましたが、僕はこれまでの作品同様に楽しんでみれました。主人公の女の子が小人という非日常的な設定にも関わらず、ファンタジー要素は意外に少ない。それゆえに壮大さやスケールの大きいストーリーではない。もし現実世界に、都市伝説で語られてるような存在の小人が隠れているとしたら...というノンフィクション寄りのお話でした。
人間からモノをこっそり借りる「借りぐらし」
アリエッティ達は人に見つからないように人間の家に隠れ住み、身の回りの生活用品や食べ物は人間から拝借して暮らしている、「借り暮らしの一族」なのだそう。言い方を換えれば「盗み」と大して変わらないんだろうけど、あえて「借りる」と言うところに、なにか「借りぐらし」の弱者的な肩身の狭さを感じる。この作品で登場する小人はアリエッティ、アリエッティの父、母、ともう一人の4人だけで、それ以外の小人達は人間に見つかって行方不明になったり、移住を余儀なくされるなど、小人にとって非常に厳しい現実世界。人間(のモノ)に依存しているにかかわらず、人間に見つかればアウト、外の世界も天敵だらけ。「借りぐらし」は、いつ自然界から淘汰されてもおかしくない種族なのだろう。
小人目線で見る世界
この作品のひとつの見どころは、「小人目線」。舞台はなんの変哲もない屋敷のようなところなのだけど、小人からするとちょっとしたダンジョンである。普段の何気ない風景が、ミクロ目線で見ると非日常へ変貌する。そこのところの細かい描写は「さすが」って感じでした。あと、人が寝静まった夜に砂糖とティッシュを調達しようとするするシーンがあるのだけど、様々な装置や小道具を駆使して目的のモノを「借り」に行くところとか結構リアルで面白かった。手足に両面テープつけて壁を登るところとか。最初「かりにいく」ってセリフ聞いたとき、「狩り」の方かと思ったけれど、多分「借り」でしょう。「借りぐらし」なんだし。それから、数センチの小人目線で見た世界は脅威だらけだとも思った。アリエッティは好奇心旺盛で物おじしない感じの女の子だけど、臆病者の小人だったら一歩も外に出たくないよな...とか思ったり。
小人と人間
もののけ姫しかり、異人種間に信頼関係や、はたまた恋愛感情が生まれたりするパターンはよくあるやつで、この作品にもそういう描写があります。アリエッティは翔に対して具体的にどういった感情を抱いていたのか、心理描写に鈍感な僕には難しかったですが、別れのシーンで見せた涙から察するに、もう会えない寂しさみたいなものはあったんだと思う。別れの寂しさもありながら、翔のように優しい心をもつ人間がいることに気づき、エンディングではこれからの険しい移住の旅にも希望に満ちた描写になっていて、終わりも素晴らしかった。
改めてジブリ作品の素晴らしさを感じた
今日初めて見たわけではなくて、いつぞや金曜ロードショーで放送されてたのを途中から見たことがあったけれど、改めてしっかり見ると以前よりも面白く感じた。大まかなストーリーだけでなく、ジブリ作品は細かい描写に面白いところがあったりするので、誰かと観るのもいいと思うけれど、一人であれこれ考えながら観ると面白いと思う。あとやっぱり背景や音楽が素晴らしいし、ジブリ特有の鳥肌が大げさに立つ描写やら、軽快に走り抜けるところも「ジブリあるある」として楽しんで観れた。観終わった後、ほっこりとした気分になれました。